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1868年創立の「兵庫学校」をルーツとする明親小学校=神戸市兵庫区須佐野通4
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1868年創立の「兵庫学校」をルーツとする明親小学校=神戸市兵庫区須佐野通4
「明親館」と書かれた額=明親小学校
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「明親館」と書かれた額=明親小学校
兵庫学校の設立に携わった神田兵右衛門の碑=神戸市兵庫区和田宮通3、和田神社
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兵庫学校の設立に携わった神田兵右衛門の碑=神戸市兵庫区和田宮通3、和田神社

有力者が尽力、住民教育目的に前身設立

 神戸市西区の高和小、垂水区の垂水小、中央区の雲中小、そして兵庫区の明親小-。これら市内だけでなく全国の多くの小学校が2022年、一斉に創立150周年を迎えた。

 それもそのはず。150年前の1872(明治5)年、日本初の近代的な学校制度を定める「学制」ができた。これを受け、各地で小学校の設立が進められたからだ。

 明親小学校は、兵庫津(ひょうごのつ)(現在の兵庫区南部)と呼ばれた地で生まれた。公式な創立年は1872年だがルーツはさらに古く、学校としては神戸最古という。

 「元々は地元の有力者たちがつくった『兵庫学校』という私学で、明治元年にできたんですよ」と話すのは、県立兵庫津ミュージアムの多賀茂治学芸員だ。その設立までには兵庫津特有の経緯があるという。

 兵庫津は18世紀後半に江戸幕府領となり、幕府の役人は兵庫城跡の「兵庫勤番所」を拠点にまちを治めた。しかし1868年、幕府が新政府軍に敗北すると、役人たちは勤番所から一目散に逃げ出した。

 「多くの人が住むこのまちが、わずかな期間ですが無政府状態のようになったんです」

 当然、治安は悪化した。住民たちは、その後やって来た明治新政府の役人にまちの警備を訴えたが「そこまで手が回らない」と追い返されたという。

 これはまずいと考えた地元有志は、自分たちでまちを守ろうと軍隊を組織した。しかし、「これがまた大きな問題になったようです」と多賀さん。「神戸市教育史」を引用すると-。

 「町兵隊にはいる若者は、無学で粗暴なふるまいが多く、町民をかえって刺激した」

 良かれと思って進めたのに、まさかの大問題。そこで、地元の豪商で市議会の初代議長も務めた神田(こうだ)兵右衛門(ひょうえもん)は住民の教育が必要と考え、学校の設立願を役所に提出し、見事認められた。こうしてできたのが兵庫学校である。

 「私財を投じて学校維持に貢献する人も多くいました。先駆的で志の高い学校だったようですよ」

 兵庫学校は設立後間もなくして「明親館」と改名。冒頭に紹介した学制が敷かれた後、校名変更や統廃合が行われるなどしたが、当初の名前を継承しようと1948年、現在の明親小学校になった。

 今でも校舎入り口には「明親館」の額が掲げられ、中には「明親資料室」という部屋がある。学校の歩みを記した年表や昔の写真、過去の卒業アルバムなどが保存され、地域に愛されている学校だと感じられる。

 幕末維新の混乱の中から生まれ、150年という節目を迎えた小学校。「明親」の名を脈々と受け継ぎ、地域とともに新たな一歩を踏み出す。

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