江戸時代、物々交換の市(いち)があったという市ケ原地区(神戸市中央区葺合町山郡(やまごおり))。当時住民はほぼいなかったと思われるが、近くの布引ダムの建設に伴い、地区の歴史は一気に動き出した。
「大規模な工事で作業員が足りなくなり、遠くから呼び寄せた人たちが市ケ原に住んだようです」。六甲歴史散歩会代表の前田康男さんは話す。
ダムの完成は1900(明治33)年だが、一部の作業員たちはそのまま市ケ原に定住したらしい。
人口増の後押しになったのは、大正時代に起こった神戸での登山ブーム。茶店も次々と開業し、市ケ原だけで34(昭和9)年に6軒はあったと地図で分かる。
「大正から昭和初期にかけてが集落形成期のようですね」と前田さん。この時期に開業した茶店が今も残っている。「紅葉の茶屋」で話を聞いた。
◇
1927(昭和2)年創業で、現在の女将(おかみ)土居悦子さん(73)は4代目。76(昭和51)年に嫁いできたが、それまでは元町西部にあった三越に通う神戸っ子だった。
「不便だし、虫や動物は出るし、最初は嫌で嫌で…。でも今はここが大好き。たまに都会に出ても落ち着かなくて『早く山に帰りたい』って思いますもん」。大笑いしながらそう話す。
創業者の土居樟巳(くすみ)さんは高知県出身。鈴木商店の大番頭で同郷の金子直吉氏を頼って神戸へ。同社の系列会社神戸製鋼所に勤める傍ら、茶屋を立ち上げた。
「布引ダムの作業員さんも出稼ぎの高知出身者が多かったみたいです。そんな縁から市ケ原に住んだのではないでしょうか」
神戸の山上でそんな縁があったとは。市ケ原の集落では土佐弁が飛び交っていたのだろうか。
◇
ただ、現在の市ケ原に集落はない。茶店は2軒あるが、住みながら店を開くのは「紅葉」だけだ。
悦子さんが嫁いでくる以前の67(昭和42)年、豪雨災害が起こり、市ケ原だけで21人が犠牲になった。近くの山が崩落し、残った住民も1人また1人と山を去った。
当時の人たちが住んでいたのだろうか。周囲に廃屋が点々と残る。
一方で、山上の平地という希少な環境は今も変わらない。ハイカーが登山道を往来し、河原にはテントが張られる。
「市ケ原は大丈夫ですよ。茶屋も守っていけます。自信があるんです」
悦子さんの言葉に、六甲山を愛してやまない前田さんの顔がほころんだ。
=おわり
◆次回は「兵庫津編」を予定しています。
【バックナンバー】
(11)山上で物々交換の「市」 灘五郷への酒米の運搬道にも
(10)公園制度の契機に 官有林の活用に道筋
(9)貿易商らでつくる民間企業「花園社」 行楽地として整備
(8)布引礦泉所の創業 川崎造船から派生
(7)創業123年「布引礦泉所」 名水販売の歴史重ね
(6)貯水池 希少な「かくれ滝」
(5)水の量少なくない? 壮大な滝は雨次第
(4)擬木の手すり 大正期製造か、登山道ずらり
(3)老舗茶屋 明治期の建築今に
(2)去来軒 消えた屋号の謎
(1)「遊園地」 土産物屋、茶屋にぎわう
【アーカイブ】
■旧居留地編はこちら

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