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神功皇后(中央立像)を祭神とする三石神社=神戸市兵庫区和田宮通3
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神功皇后(中央立像)を祭神とする三石神社=神戸市兵庫区和田宮通3
毎年4月の生田祭で、みこしを担ぐ氏子ら=2017年4月、神戸市兵庫区内
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毎年4月の生田祭で、みこしを担ぐ氏子ら=2017年4月、神戸市兵庫区内
神功皇后が和田岬に上陸したことを示す石碑=神戸市兵庫区和田宮通3
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神功皇后が和田岬に上陸したことを示す石碑=神戸市兵庫区和田宮通3

神功皇后上陸の言い伝えも

 前回、兵庫住吉神社(兵庫区切戸町)の高原克佳(かつよし)宮司から、和田岬周辺は海上交通の難所であり、そのために兵庫運河や神社がつくられたと教えてもらった。実は、高原さんは生田神社の禰宜(ねぎ)でもあるので、兵庫津(ひょうごのつ)や和田岬と、生田さんとの関係について聞いた。

 生田神社に関してよく知られる由緒がある。神功(じんぐう)皇后が西暦201年、朝鮮半島に出兵した帰りに神戸港で船が進まなくなり、神託を受けて女性の神様稚日女尊(わかひるめのみこと)を祭ったのが始まり-というものだ。

 「伝説の部分もありますが、生田神社が海と深い関係にあることが分かります」と高原さんは言う。生田さんの由緒には明記されていないが、このときに神功皇后が上陸した場所は和田岬とも伝わる。

 実際、和田岬にある三石(みついし)神社(兵庫区和田宮通3)には、神功皇后が上陸したとの由緒が残る。東京五輪柔道金メダリストの阿部一二三(ひふみ)、詩(うた)きょうだいが参拝したことで有名な神社だが、祭神は神功皇后で弓矢を持つ像が立っている。

 「交通の要衝地であった和田岬(兵庫津)には、古代から多くのモノや文化がもたらされました。見たこともない文物が入ってくるこの地は、人々から『聖地』のように神秘的に映ったかもしれません」

 そう話す高原さんから、生田神社に関してもう一つ興味深いエピソードを聞いた。

 毎年4月に開かれ、生田神社の祭事で最も重要な生田祭。現在は中央、兵庫区にある11地区が交代で世話役を務めるが、かつてはそうではなく、神社から和田岬までみこしをかついで渡御(とぎょ)をしていたという。

 「周辺を巡回しながら約30キロを練り歩き、1日がかりだったようです」と高原さん。17世紀の神幸の様子を描いた絵巻物が残るが、「兵庫津が発展し始めた頃から行われていた可能性もあります」と指摘する。

 生田神社は三宮方面にあり、兵庫津とはゆかりがあまりないと思っていたが、全くの見当違いだった。

 周辺で最も栄えていた兵庫津の人たちは「古くから生田神社への帰属意識が強く、それは今も昔も変わらない」。実際、先に挙げた11地区のうち五つは現在の兵庫区内で、同区大開通には生田神社の兵庫宮御旅所がある。周辺一帯が生田さんの氏子地域なのだ。

 神戸港で神託を受けた神功皇后が和田岬に上陸し、生田神社を創建した。やがて時代が下り、ご神体を乗せたみこしは国内屈指の港町・兵庫津を練り歩き、和田岬まで向かった。そして、神様にまちの様子をご覧いただき、さらなる繁栄を祈願した-。

 伝説の部分もあるだろう。しかし、生田神社を創建した神功皇后と関係が深い和田岬は「神戸始まりの地」と言えるのではないかと思った。(安福直剛)

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