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神戸の顔の百貨店ともいえる大丸神戸店=神戸市中央区明石町
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神戸の顔の百貨店ともいえる大丸神戸店=神戸市中央区明石町
「兵庫岡方文書」には業者名が並び、その中に「大丸店」も
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「兵庫岡方文書」には業者名が並び、その中に「大丸店」も
兵庫店時代の広告。「下村」は店主の名(J・フロントリテイリング史料館提供)
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兵庫店時代の広告。「下村」は店主の名(J・フロントリテイリング史料館提供)

元町4丁目を経て現在地へ

 「大丸はな、昔は元町のもっと西にあったんやで」

 誰に聞いたのかは忘れたが、なぜかその言葉だけを鮮明に覚えている。

 大丸神戸店(神戸市中央区明石町)は、洗練されたたたずまいや旧居留地の玄関口にある立地などから、神戸の顔といえる百貨店だ。その存在感の大きさが幼いときから印象的で「へえ、あの大丸が(別の場所にあったのか)」と記憶に残っているのかもしれない。

 しかし、その記憶に新たな衝撃が打ち込まれた。

 「大丸はな、昔は兵庫津(ひょうごのつ)にあったんやで」

 そう話すのは、江戸時代から続く「兵庫津 樽屋(たるや)五兵衛」(兵庫区本町2)を営む高田誠司さん。高田さんは一般社団法人「よみがえる兵庫津連絡協議会」の会長も務め、地元兵庫をこよなく愛する。

 膨大な郷土史料を持つ高田さんに、大丸に関する文献を見せてもらった。そこには「神戸店の前身兵庫店が開設されたのは文政二年(一八一九)」「鍛冶屋町の兵庫店が出来た」と書いてあった。

 「大丸といえば元町」という自分の先入観はどこへやら。大丸神戸店の広報担当者にも尋ねてみた。

 「確かにその通りです。最初は大阪から兵庫へ商人が出張する形だったようですが、当店の発祥地は現在の兵庫区になります」

 同店営業推進部の林美結(みゆ)さんによると、前身となる兵庫店は当初、独自の店はなく宿屋を間借りし、出張員が得意先の開拓と販売をしていた。そして間もなく、兵庫区鍛冶屋町に店を構えたという。

 その後、1908(明治41)年に中央区元町通4丁目に移転。このとき初めて呉服屋から「ミニ百貨店」のような商売形態になったという。現在の場所で開店したのは27(昭和2)年。林さんが見せてくれた資料に興味深い記述があった。

 「大丸は兵庫に古くからのお得意様があっただけに神戸が日々新しい繁栄の姿を見せても、神戸に出て行くチャンスはなかなかつかめなかった」

 これは逆に言うと、神戸港が開かれるまで兵庫津は相当のにぎわいで、大丸もその一角だったということだろう。

 高田さんによると、近世の兵庫津は西国街道沿いを中心に多くの店があったという。実際、兵庫津の史料を集めた「兵庫岡方文書」を見ると、多様な店があったことが分かり、「大丸店」の名前も確認できた。

 いま、兵庫津の西国街道沿いは少し寂しい。しかし、高田さんは「兵庫津は何度でもよみがえります。1300年の歴史を乗り越えてきたんですから」と力を込める。

 兵庫津の復権を待ちたい。(安福直剛)

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