太平洋戦争が終わって2年以上が過ぎた。小学校3年の石井順子は、両親や弟の俊司とともに、熊本県の豊野村(現宇城市豊野町)から神戸に帰ってきた。疎開先では農作物などがなんとか手に入ったものの、神戸では食べ物が不足していた。
三宮など神戸の市街地は空襲で焼けていた。しかし多くの人が集まり、ごちゃごちゃとしている。道沿いには多くの屋台が並んでいる。そこではホルモン焼きなどを売っていた。
太平洋戦争が終わって2年以上が過ぎた。小学校3年の石井順子は、両親や弟の俊司とともに、熊本県の豊野村(現宇城市豊野町)から神戸に帰ってきた。疎開先では農作物などがなんとか手に入ったものの、神戸では食べ物が不足していた。
三宮など神戸の市街地は空襲で焼けていた。しかし多くの人が集まり、ごちゃごちゃとしている。道沿いには多くの屋台が並んでいる。そこではホルモン焼きなどを売っていた。