現在のJR熊本駅。戦時中の面影は全くない
現在のJR熊本駅。戦時中の面影は全くない

 神戸の町には1945(昭和20)年3月に続き、6月5日などにも大空襲があって東半分が焼失する。全体で14万戸以上の家屋が被害を受け、死者は7千人以上、被災者は50万人を超えた。

 家を失い、仮住まいをしていた石井家にはこの年の5月、順子の弟俊司が生まれた。そのため7月に家族3人で疎開することになった。行き先は母繁子の出身地である熊本県。列車の切符は近所の人が取ってくれた。