指導する書道教室で、阪神・淡路大震災の記憶を振り返る和田彩さん=神戸市灘区森後町1
指導する書道教室で、阪神・淡路大震災の記憶を振り返る和田彩さん=神戸市灘区森後町1

 1995年1月17日午前5時46分、書家の和田彩さんはJR神戸線の西行き電車に乗っていた。場所は、芦屋駅のすぐ手前。動かなくなった車両を降り、神戸市垂水区の自宅まで歩いて帰った。目の前で燃える民家、「お父ちゃんが埋まってる」という女性の声、立ち尽くす幼い女の子-。「大変なことが起きているのに、何もできなかった」と振り返る31年前の記憶をたどる。(中村有沙)

 平日の火曜日とはいえ、電車が動き始めた時間帯の乗客はまばらだった。午前5時28分に大阪駅を出た加古川駅行き普通電車。同じ車両のロングシートを見渡しても、その数は10人に満たない。

 座席にもたれかかる和田さんと母、友人3人。スキー旅行の帰り道だった。前日の夜に滞在先の長野県をたち、この日の未明に大阪駅に到着した。

 着替えなどは事前に宅配していたため、手持ちの身の回り品は、リュックサックとスキー板だけ。その板を床に寝かせ、眠気をこらえながら「今から仕事やね」と友人とたわいもないやりとりをぽつぽつ続けていた。

 現在は、神戸を拠点に国内外で個展を開き、前衛書道団体「飛雲会」の総務理事も務める和田さんだが、20代だった当時はまだ駆け出し。書道教室の手伝いをしつつ、師匠に付いて技術を磨いていた。

    ◇    ◇

 突然、車内がガタガタと揺れた。「キャー」という悲鳴。電車ごと飛ばされるような衝撃とともに、座席から前に倒れ込んだ。思わず、両腕で頭を覆う。

 揺れが収まった。起き上がって窓ガラス越しに目をやる。民家や電柱が倒れている。

 「電車が事故に遭ったんかな。転覆したんやろか。ここから出られるかな」。だが、車両は横転していない。横倒しになっていたのは、外の風景だった。

 アナウンスが流れた。電車の走行に異変が起きたので車内で待機してほしい、といった内容の指示だった。

 母と友人にけががないかを確認し合う。みんな床に投げ出されていたが、幸いにも無事だった。「周りの景色、おかしくない?」といぶかしんだ。

    ◇    ◇

 どれくらい待っただろうか。

 2回目のアナウンスで、地震が発生したと告げられた。信じられない。「地震で家が倒れるの?」。当時の日本は、都市部が被災するような大規模地震が久しく起きていなかった。

 乗務員の放送が続く。「電車は先には行けません。ここで降りてください」。先頭車両に誘導され、連結部分から線路に降りた。

 空が、薄明るくなっていた。

 リュックサックを背負い、スキー板を抱えながら芦屋駅の方へ歩き出す。砂利に足を取られる。だが、その後の道程を思い起こした和田さんが、ぽつりとつぶやいた。

 「線路の上が一番整っていて、きれいでした」