最愛の家族を一瞬にして失ったあの日から、きょうで30年になる。阪神・淡路大震災で母規子(のりこ)さん=当時(34)=と末の弟翔人(しょうと)ちゃん=同(1)=を亡くした小学校教諭の長谷川元気さん(38)=神戸市垂水区=は、語り部グループ「語り部KOBE1995」の代表として、子どもたちに語りかける。「地震はいつ来るか分からない。家族や友達を大切にして、備えを進めてほしい」。神戸新聞社が展開する「1・17つなぐプロジェクト」にも参加し、その思いを伝えた。(上田勇紀)

「こども震災学校」で、亡くなった母と弟の写真を背に語る長谷川元気さん=2024年4月、神戸新聞社

 グループは震災を直接知らない世代にも記憶を継承しようと、各地の小学校などで体験を伝える活動をしている。同プロジェクトの一環で、神戸新聞社が小中学生らを招く「こども震災学校」でも話を聞かせてもらった。

 元気さんは当時、神戸市東灘区の本山第三小学校2年生。同市東灘区本山中町の木造アパートに、両親と弟2人の5人で暮らしていた。