阪神・淡路大震災31年に合わせ、新しい社会の在り方をともに考える「1・17未来会議 公開フォーラム」(神戸新聞社主催)が2月14日、神戸市中央区のアンカー神戸で開かれた。第1部は、第168回芥川賞を受賞した作家で詩人の井戸川射子さんが、自身の震災体験にも触れながら新刊「私的応答」に込めた思いを語った。第2部のパネル討議では、未来会議のメンバーでNPO法人や市民グループ、研究機関などに所属する5人が、社会情勢の変化を踏まえ、阪神・淡路の教訓をこれからの社会にどう生かすのかを話し合った。(論説委員室)

震災31年を経て新しい市民社会を話し合うパネリスト。(左から)高森さん、中野さん、飛田さん、頼政さん、李さん=神戸市中央区、アンカー神戸(撮影・斎藤雅志)

<パネリスト>

 阪神大震災を記録しつづける会事務局長 高森 順子さん
 京都大学防災研究所准教授 中野 元太さん
 認定NPO法人コミュニティ・サポートセンター神戸代表理事 飛田 敦子さん
 被災地NGO恊働センター代表 頼政 良太さん
 NPO法人多言語センターFACIL理事長 李 裕美さん

 進行 勝沼直子・神戸新聞論説委員長

 -震災との関わりや、皆さんの活動の紹介を。

 高森順子さん 小5の時、神戸・六甲アイランドのマンションで震災に遭い、ちょっとの違いで死んでいたかもと感じた。出版社を営む伯父が震災体験の手記を刊行していたが、震災10年を前に亡くなり私が継いだ。30年のタイミングでエピソードを募り186編が集まった。近く本になる。

 中野元太さん 小学校入学の直前だった。神戸の垂水、須磨区が生活圏で被害がすごく大きくはなかった。災害に関心を持ち、舞子高環境防災科の2期生として入学したが、注目されすぎるのに疑問を感じた。青年海外協力隊員としてエルサルバドルで地域防災に貢献できた自信から、帰国し大学院で防災を学び始めた。

 飛田敦子さん 中3だった。神戸市灘区の実家は強く揺れたが私は目覚めず、絶対震災のことは言えないと思ってきた。進学先には亡くなった人もいた。震災15年のときに見た「その街のこども」というドラマで震災経験に優劣はないと感じほっとした。今はNPOの活動を支え、地域のつながりの再構築に取り組んでいる。

 頼政良太さん 小学校に上がる前で、広島に住んでいた。神戸の大学に進学し、震災関連のボランティア団体で活動した。地域の人から体験を聞く中でアカデミックに研究したいと感じた。今は関西学院大で教員をしながら災害救援ボランティア団体代表をしている。

 李 裕美さん 中3で震災に遭い、高校は仮設校舎。現在は神戸市長田区のNPO法人で外国人の支援をしている。長田は外国にルーツのある人が多く、翻訳や通訳のボランティアが必要なことが震災で可視化された。私も在日コリアン3世だが、親や祖母は関東大震災時の虐殺を語り継いでおり、不安が強かった。

 -震災の記憶の継承で「30年限界説」が唱えられた。

 高森 戦争体験も社会の動静によって何度も読み直されている。劣化し衰退するとは思わない。直接の体験が刺し身なら、時を経て出てくるのがかつお節。生々しい体験を別の表現で再評価することが大切。

 中野 30年は新しい可能性が開けた年と思う。震災を直接知る第1世代、子どものころ体験した第2世代、生まれていない第3世代が交じり多様な語りができる。知らない世代が次世代に語り継ぐ活動も活発だ。

 飛田 中高生が激震地で起きたことをいろんな人から聞き取り同世代や別の地域に伝える活動をしている。震災を知らない世代だからこそ、30年たちようやく体験を話せた人も多い。

 頼政 神戸にいなかった後ろめたさはあるが、僕が関わればみんなも発信しやすい。震災時に生み出されたものを合わせ鏡のように映し出すのは、第2、第3世代の役目と感じる。

  子どもが小学校に入るときの説明会で、防災頭巾をほとんどの人が買っていた。震災の記憶が行動を変容させた。日本語で話せない人の記憶も残し、文化として伝えたい。

 -当事者とそうでない人はどう交じり合うのか。

 高森 手記を読む中で、当事者として話すのは難しくても、表現者として書ける人に多く出会った。当事者と非当事者を対立意識にしないことも大切だ。

 飛田 市民社会の充実を目指しているが、老若を問わず市民という言葉に「リベラル臭」のような嫌悪感を持つ人が増えている。そういう人ともコミュニケーションを取る必要がある。

会場の参加者が描く理想社会

 -「市民」は何を指す?

 中野 様々な機会にみんなが参加できることが保障されている状態と思う。「当事者」は支援が要る人とイメージされるがそれだけでは排他的になる。防災教育も復旧・復興もある程度自立した人を対象に想定し、高齢者、外国人、被災者などは当事者と呼ぶが、みんなが参加できる市民社会に近づくには当事者が支援者にもなる構造が要る。

  日本人住民が高齢で外国人は若い働き手が多い地域もある。防災訓練をやれば水運びが一番早いのは外国人。何かあれば助け合う仲間、お互いさまと思うようになる。排外主義的な言葉がネットで流れているが、一緒に防災訓練したり会って話したりした上で書き込んでいるのだろうか。

 -CS神戸は「自立と共生」をミッションに掲げるが、市民社会をどう考えるか。

 飛田 震災半年後ぐらいに高齢者の方から、ボランティアに毎日毎日「ありがとう」と言うのが嫌になったと聞いた。助ける側と助けられる側が固定化されると尊厳も失いかねない。行政や企業はサービスを受ける側と提供する側が固定されるが、NPOは助ける側と助けられる側を行ったり来たりできる。尊厳を守りながら、困ったら助けてねって言えるのが、市民社会が大事にすべき部分では。

 頼政 ネットのウィキペディアは書き込んでも無報酬だが、正しい知識を共有したいという思いで書かれ、ボランティアがチェックする。ボランティアは社会参加のための権利であり、若い人も参加できる環境を作るのが我々の義務みたいなもの。

 -高森さんは「市民か国民か問われない社会であるべき」との考えだが。

 高森 私が手記を作るのは正直、趣味。研究者として世の中が少しでも良くなるようにとの思いもあるが大半は趣味でやっている。そういうのが文化の一番の源泉と思う。井戸川さんも読むことは趣味とおっしゃっていた。趣味性を出しつつ、より良い社会を創造するのが大事なのでは。

 -最後に目指す社会のあり方をフリップで。

目指す社会像を示すパネリスト

 高森「ひとりでもみんなでも居られる社会」 みんなで支えなきゃいけないでしょ、という言葉が強くなっているが、一人でいるのを孤独で孤立した人と問題視せず、どういう形であれその人の生き方が尊重される社会であればいい

 中野「Connectical(コネクティカル)」 つながるのコネクトと、実践的のプラクティカルを合わせた造語。震災30年でネットが普及し情報が平等に多くの人に届くようになったが、極論ばかりが強調される負の面も現れている。生身の人間同士がつながる場所を意図的につくることが重要では。

 飛田「越境」 いろんな人が交流できる場づくりをサポートしていると、思いがけない出会いで互いに影響し合う場面がある。会場の皆さんにも、こうした集まりに絶対来ない知り合いがいるのでは。私たちからするとすごく遠くにいる人たちと、顔と顔が見える関係をつくれればいいなと思う。

 頼政「一緒に居れる」 社会のいろいろな人が尊重されるべきだが、濃い付き合いが難しい人もいる。それでも一緒のカフェにはいられますよね。それぐらいの距離感を持ちながら場を共有できるような社会になったらいい。強いつながりばかり注目すると、情報が偏り閉じた関係性になる。そこを超えるため弱いつながりも大切にしたい。

 李「『私も、地域住民(市民)です』と言える社会」 私がこう言っていいのか、あんた違うって言われたらどうしようとの不安がある。同じ方はいると思う。私も地域住民ですと誇りを持ち、お互いがチームなんだと認め合う社会になればいい。

 -これで答えが出たとは思っていない。教訓に立ち止まらず、実践し失敗もしながらトライする。その中に答えに近づく糸口があると信じて問い続けたい。(敬称略)

■井戸川射子さんトーク

 人の思いを想像するのが私の仕事

 国語の教師になったのは、本が好きだったのと、父親も国語の教師だったから。授業で詩を教えるのが難しくて、自分でも書き始めた。書こうと思うとたくさん読む。すると何でも詩になると分かってきた。難解なものは分からなくてもいいんだ、ということも。

 小説も書くようになったのはフィクションだと言いやすいと思って。書くことが広がる。芥川賞を受賞して、頑張って芥川賞を取りましょうと言われなくなり、自由になった。ただその後もぼちぼちしか書けない。1日に原稿用紙4枚分。

 阪神・淡路大震災は小学校1年のときに体験した。小学校は避難所になり、ひと月ぐらい休みになった。震災のことは覚えているが、記憶はすごくおぼろげで自信がない。混乱してごちゃまぜ。大人になって、自分にも「トラウマがあるんだろうな」と気づいた。

 いずれは震災のことを書きたいと思っていた。まずは自分の中を掘って掘って小説にする。今後、全く知らないものを書いていくには、やはり自分の中の震災を作品にした後でないとできない。そう考えて「私的応答」を書いた。書くにあたって震災当時の新聞の記録や写真を見た。泣きながら資料を見た。知らないことにも知っていることにも、想像で泣くしかないと思いながら。

 震災後、入浴のために大阪に行ったとき、みんな普通で、スーツを着ていてずるいなと思ったのを覚えている。子どもは無邪気で思いやりもない感情を持つ。大人には、ずるいとかじゃないよと言うような役回りがある。震災から30年たって、子どもだった自分が親になり、当時の親はすごかったと思う。

 「私的応答」の前半は震災のときにお母さんだった銅子、後半は震災のときに子どもだった厚美が主人公になる。どちらの視点からも書きたかった。ただ、どのせりふを誰が言っても不思議ではないと、いつもそう思って書いている。

 兵庫県の出身と言うと、震災のことを聞かれる。話を聞くのも聞かれるのも難しい。人の経験を書くには聞かなければならないが、土足で踏み込むことには抵抗がある。私のトラウマかもしれない。山に行くと岩が崩れ落ちるのではと感じることがある。それも震災を経験したからなのかなと。そういうことも考えてみたかった。

 ルポやエッセーよりも、小説の方が自分に置き換えやすいのではないか。震災は違う話でまた書くかもしれない。

 書くことにはカウンセリングのようなところがある。ある出来事を忘れたくないから書いて、書いたものがもうここにあると思うから、つらい思い出も忘れられる。

 自分が震災のことを書いてもいいのかとも思ったが、「私的応答」は書いてよかった。自分のことも、自分ではないことも思い出せた。人の思いを想像するのが私の仕事。それでしんどくなることもあるが、それが小説で勉強できることかなと思う。(聞き手 岸本達也論説委員)

 いどがわ・いこ 1987年生まれ。関西学院大卒。高校の国語教師をしながら作家の道へ。詩集「する、されるユートピア」で中原中也賞。小説「この世の喜びよ」で芥川賞。今年1月、震災の記憶を題材にした小説「私的応答」を刊行した。西宮市在住。

■「新しい市民社会」アンケート 高齢化や人口減を憂慮

 公開フォーラムを前に、神戸新聞社は「新しい市民社会」をテーマにネットアンケートを実施した。阪神・淡路大震災から31年がたち、人口減や高齢化が加速するなど社会構造が変化する中、多様性を尊重し助け合いや思いやりのある社会を望む声が多く寄せられた。

 アンケートは1月13~31日、兵庫県内を中心に192人から回答を得た。

 阪神・淡路以降、学校や地域に広がった防災教育(震災学習、避難訓練、防災マップ作成など)を受けたことがあるかを尋ねたところ、64%が「ある」と答えた。経験した人は「食料などの備蓄を始めた」(48%)や「ハザードマップを確認」(45%)、「家具や本棚などを固定」(26%)などの行動変容につながっていることが分かった。

 復興まちづくりを語る際などによく用いられた「市民社会」「市民主体の社会」の言葉を知っているか聞いたところ、「知っている」は34%にとどまり「聞いたことはあるが詳しくは知らない」「全く知らない」が66%を占めた。震災があった1995年が「ボランティア元年」と呼ばれたことを知らない人も21%いた。世代交代もあり、これらの言葉が十分浸透していないことがわかる。

 暮らす地域の課題を記述してもらったところ、高齢化と人口減を挙げる人が多数を占めた。具体的には、自治会や地域防災の担い手不足、空き家の増加、限界集落などコミュニティーの維持、バス路線の廃止・減便など、厳しい状況が浮き彫りになった。

 「あなたが思い描く望ましい社会」についても尋ねた。神戸市西区の50代女性は「個人を尊重しながら、必要なときに助け合える社会」と回答。同市灘区の50代男性は「多文化共生の寛容な社会」を望み、尼崎市の50代男性も「多様性を認め合う社会」と記した。

 姫路市の10代女性は「子どもが幸せに豊かに育つ社会」を希望し、神戸市垂水区の80代女性は「若者と高齢者が仲良く暮らす」と書いた。同市東灘区の70代男性が「人間関係が希薄になる中、思いやりのある地域を」と記すなど、阪神・淡路の経験を基に、共生や共助を大切にした社会の実現を望む声が目立った。

■これまでの「1.17未来会議」

① 新たな社会へ震災教訓をどう生かす 「1.17未来会議」神戸で初会合
② 震災の記録、ボランティア… 阪神・淡路30年、社会の変容議論 第2回「1.17未来会議」
③ 識者ら議論「防災の役割、若い世代も考えて」「防災に格差ある」 第3回「1.17未来会議」
④ 震災の教訓、社会にどう生かす 第4回「1.17未来会議」 被災者支援と法議論
⑤ 社会に大震災の教訓をどう生かす 外国人との「共生」議論 第5回「1・17未来会議」
⑥ 「市民とは誰か」「共生と分断」について議論深める 第6回「1.17未来会議」

■関連記事

市民社会を築き直そう 「1.17未来会議」阪神・淡路の被災地から、次代へのメッセージ