人形浄瑠璃文楽の「かしら」
人形浄瑠璃文楽の「かしら」

 江戸時代の大坂は文芸と興行の中心地で、近松門左衛門を軸に人形浄瑠璃(文楽)、歌舞伎、落語が互いに影響し合いながら発展しました。

 近松は、人形浄瑠璃の義太夫節の語りを革新し、「心中物」「世話物」を確立します。これらの作品はすぐに歌舞伎に取り入れられ、坂田藤十郎らが演じたことで、人形浄瑠璃と歌舞伎は「相互翻案」の関係を深めていきました。

 また、人形浄瑠璃の語りや町人の機微の描写は落語にも影響を与え、人物造形や笑いの構造に共通性が生まれました。

 大坂では芸能が同じ劇場街で共存し、観客も重なっていたため、内容や語り口が自然に行き来し、上方芸能全体が成熟していったと言われています。

 近松の作品「百合若大臣野守鏡」には有馬の湯女(ゆな)の描写があり、井原西鶴も湯女を繰り返し作品に取り上げました。江戸の町人が有馬を知る大きなきっかけは、こうした戯作だったとされています。

 その後、人形浄瑠璃は一時衰退しますが、淡路島から来た植村文楽軒が再興に尽力し、「文楽座」が誕生しました。現在、「人形浄瑠璃文楽」はユネスコ無形文化遺産にも登録されています。

 人形浄瑠璃文楽は人形遣い、三味線弾き、太夫の三役で成り立ち、人形は3人で操られます。「主遣い」が頭と右手を担当し、他の2人と息を合わせて細やかな動きを表現します。三味線は情景や心情を音で表現し、太夫は1人で老若男女を語り分けます。

 そんな人形浄瑠璃文楽は、神戸港の開港や西洋文化の流入、無声映画の登場などに押され、低迷した時期があります。職を失った人形職人たちは神戸に移り、外国人船員向けの土産物として「神戸人形」を作るようになりました。神戸人形は浄瑠璃由来のからくりを備えた人形です。

 現在、有馬玩具博物館(神戸市北区有馬町)に展示されている神戸人形は、長田の「野口百鬼堂」による作品です。長田には能面師の鈴木能仁がいて、彼の能面を見たイギリスのジョン・ブランダールが弟子入りし、人形浄瑠璃文楽の「かしら」の修理にも関わりました。

 後に帰国したブランダールは人形劇の制作を依頼され、それが世界的番組「サンダーバード」なのです。つまり、サンダーバードの人形の動きは日本の人形浄瑠璃文楽の技術が息づいているのです。

 有馬玩具博物館では、人形浄瑠璃文楽の「かしら」、サンダーバードの「パーカー」の人形を見ることができます。有馬にお越しの際には、博物館にも足をお運びください。(有馬温泉観光協会)