「東京名所図会」によると、1884(明治17)年、東京・向島の秋葉神社境内に有馬温泉の湯の花を運び、温泉宿と料理屋が開設されました。今で言う有馬温泉のアンテナショップのような施設です。
当時の記録には、「料理は普通の料理で、美人はいません。べっぴんはほかからお連れください」と、前歯の少し欠けたおばあさんが話したと書かれています。少し自虐的ですが、ユーモアを感じさせる話です。
夏になると、ここでは肝試しも行われました。怪談話を聞いたあと、恐る恐る階下へ下りると、蚊帳の中に棺おけが置かれていました。棺おけのふたを開けると、中に冷えたビールが入っていたそうです。遊び心のある催しで、多くの著名人も参加したと伝えられています。
有馬からは、世界に目を向けた芸術家も生まれています。1843(天保14)年生まれの森琴石は、31歳の時に東京へ出て西洋画を学び、その後、関西南画を代表する画家として活躍しました。
88(明治21)年には、フランスの作家ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」の日本語訳が出版され、その挿絵を担当しています。大きな大砲で打ち出された砲弾の中に人が入り、月を目指す話です。まだ海外が遠い存在だった時代に、日本の人々へ新しい空想の世界を伝えました。
また、金の湯の手前にあった旅館「下大坊」には、小説家の幸田露伴が宿泊しています。露伴は有馬への旅を「陽炎日記」にまとめ、六甲越えの道中や有馬の風景、温泉で過ごした様子を記しています。
その下大坊の長男として90(明治23)年に生まれたのが山下摩起(まき)です。家業を継がず画家の道を選び、京都で日本画を学んだ後、1938(昭和13)年にフランスへ留学しました。そこで洋画にも触れ、東洋と西洋の表現を取り入れた独自の画風を築きました。
このように、有馬から世界へ目を向ける人が生まれた背景には、有馬の土地柄も関係していたのかもしれません。有馬には早くから外国人宣教師が訪れ、三田を中心とする周辺地域にはキリスト教を信仰する人々も多くいました。山下摩起の母親もキリスト教徒だったといわれています。
また、神戸を代表する画家で、三田にゆかりがある小磯良平の母親もキリスト教徒で、その家庭環境が後のフランス留学に影響したとされています。
外国人や宣教師との交流を通して、有馬の人々は早くから海外の文化や新しい考え方に触れてきました。有馬は温泉の街であると同時に、人と文化が行き交う町でもあります。その国際的な気質は、今の有馬にも受け継がれているように思います。(有馬温泉観光協会)
























