明治から大正、昭和初期にかけ、有馬温泉は多くの文学者にとって身近な場所になっていきました。
背景には、鉄道やバスなどの交通インフラが整い、大阪や神戸から有馬へ気軽に足を運べるようになったことがあります。
有馬は、遠方から長い旅をして訪れる湯治場から、都市の日常を少し離れて過ごせる身近な保養地へと変わっていきました。
1912(大正元)年には、後に小説家・俳人として知られる瀧井孝作(1894~1984年)が、六甲山から有馬温泉を訪れています。
この時に詠んだ十句が残されているほか、同じく大正期に「有馬まで」という作品を残しています。六甲から有馬へ向かう道のりを題名にしたこの作品からは、当時の文学者にとって、有馬が温泉だけを目的に訪れる場所ではなく、そこへ向かう旅そのものも楽しめる場所だったことがうかがえます。
そして、阪神間ゆかりの文豪、谷崎潤一郎(1886~1965年)の作品にも、有馬が登場します。
「春琴抄(しゅんきんしょう)」では、身ごもった主人公・春琴が湯治のために有馬に向かいます。「猫と庄造と二人のおんな」では、有馬で男女が過ごす場面が描かれています。
また、4人姉妹を描いた代表作「細雪(ささめゆき)」でも、有馬が物語の舞台の一つとして登場します。谷崎にとって有馬は、単なる温泉地ではなく、大阪や阪神間の日常から少し離れ、人間関係や心情が動く場所でもあったのでしょう。
その後も、有馬は文学者に親しまれました。大正・昭和期を代表する小説家、吉川英治(1892~1962年)は「新・平家物語」の取材旅行で有馬を訪れ、滞在中に有馬の「水音」や「河鹿」を句に詠んでいます。
交通の発達により、近代の有馬は「湯治の場」から、「文学者が訪れ、歩き、感じ、作品に描く場所」へと、その役割を広げていったのです。(有馬温泉観光協会)
























