■初優勝のあの日、邪念が消えみんな無心になったんや。
14年前の2008年6月、ペーロン競漕(きょうそう)男子1部の決勝。兵庫県相生市看護専門学校のOBや在校生でつくる「磯風漕友会(いそかぜそうゆうかい)」の河田英幸監督(58)は、舟の最後尾でかじを取っていた。
4艇が競った残り100メートルの最終盤、へさきの差を競り合っていた隣の舟が視界から消え、目の前が突然真っ白になった。見えたのは必死に櫂(かい)を振るう28人と艇長、そしてドラと太鼓をたたく仲間の姿だけだ。船が雲の上を進んでいるような浮遊感に包まれる。まるで、竜が大海原から飛び立つかのようだった。0.3秒差で初優勝していた。
「なぜか順位は気にならなかったな。あの瞬間だけは『勝たなあかん』という邪念が消え、全員が無心になったんや」。空を見上げ、河田さんが記憶をたどる。
毎年初夏に開催されるペーロン競漕(きょうそう)は2000年代以降、造船所や企業に代わって市民チームが急成長していた。新型コロナウイルスの影響で2年連続中止となったが、磯風は19年まで12連覇、同校の女性OBらでつくる「スーパードルフィン」は17連覇を誇る。
河田さんが初めてペーロンの熱狂に触れたのは広島から同校に赴任した約30年前のことだ。30人以上で取り組める団体競技はそう多くはない。社会へ出て行く教え子たちの思い出になればと1998年、男女のチームをそれぞれ結成した。同好会のような和気あいあいとした雰囲気だった。
スーパードルフィンは01年に女子の部で初優勝。一方の磯風は2年連続で3位だった07年、転機が訪れる。このまま楽しいだけで終わるのか、それとも優勝を目指すのか-。
奮起した選手たちは休みなく、練習に打ち込んだ。夕方の学校に集まり、巨大な水槽を囲んで櫂を振り続けた。深夜になってようやく帰る。何本もの櫂を折った。交代で24時間走り続けたこともあった。そして、初優勝を手にした。
まだ肌寒い4月のある朝、河田さんの姿は相生湾にあった。ボートで並走し、磯風とスーパードルフィンの練習を見守っている。
「ペーロンはね、しっかりこいでもさぼっても見た目では分からん。大事なのは、甘えやたるみをそぎ落とし、やってきたことを出し切ることなんや。『勝たなあかん』という気持ちは焦りや弱さにつながる。結局、レースの結果は選手全員の誠実さの結晶なんやな」。言い聞かせるように教えてくれる。
海上では、決勝を想定し、5分間舟をこぎ続ける練習が始まった。スタート前、選手が互いに背中や脚をたたき合う。磯風が初優勝した後に行われるようになった。「信頼してる。本気でやろな」。そんな会話を交わしているようだ。(地道優樹)
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