本当に「少年A」の公的な記録は、1ページ残らず捨てられたのか-。26年前、1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件で、裁判所が全ての文書を廃棄したことは確認された。当時の少年法では、逮捕時14歳だった「A」は検察官送致(逆送)されず、刑事裁判にならなかった。それでも、何か記録が残っていないか。取材で可能性が浮かんだのは、裁判所とは別に、法務省が作成する「少年簿」という矯正記録の存在だった。(霍見真一郎、千葉翔大)
神戸家裁が廃棄した「A」に関する主な文書には、処分決定書▽捜査文書▽精神鑑定書▽成育歴などの調査報告書-があった。裁判所は、史料的価値が高い記録を「特別保存(永久保存)」するよう義務づけていたが、家裁はこれらを全て捨てていた。
最高裁の調査で、廃棄日は事件から約14年後の「2011年2月28日」と明らかになっている。
■個人情報
「A」は家裁の少年審判で「医療少年院送致」の保護処分が決定した。収容先は、旧関東医療少年院(東京都府中市)だった。
同少年院の後身施設に当たる東日本少年矯正医療・教育センター(同昭島市)に記録が残っていないかを聞いたが、プライバシー保護を理由に回答を拒まれた。しかし一般論として、家裁の事件記録とは別に、少年鑑別所や少年院での行動観察や教育プログラムなどを記録した文書をまとめた「少年簿」が存在し、保護処分が終了すれば、鑑別所が保存する決まりだと説明された。
「A」は05年1月1日に同少年院を本退院している。そこで、神戸少年鑑別所(神戸市兵庫区)に少年簿の保存の有無を尋ねた。幹部職員は「文書の存否は、個別の被収容者の矯正施設収容歴を答えるのと同じ結果が生じる。回答できない」と、にべもなかった。だが、「少年簿の保存期間は10年だが、延長する制度もある」と教えられた。
■情報公開
取材班は、昨年10月下旬から法務省大阪矯正管区に対し、情報公開請求も行ってきた。最初は「Aの少年簿及びその管理文書一式」を請求したが、鑑別所の説明と同じ趣旨で非開示だった。次に同鑑別所に保存された文書の管理帳である「行政文書ファイル管理簿」を請求すると、開示決定が出た。
膨大なリストの中に「A」に関する可能性のある文書があった。表題は「平成16年少年簿(分離分)」。同鑑別所が保有を開始したのは「05年1月1日」と記され、医療少年院を本退院した日とぴたりと一致し、平成16年のつづりから「分離」までして残した記録とみられる。保存期間の満了は「2014年12月31日」だったが、10年延長されていた。
だが、連続児童殺傷事件の「少年A」の少年簿という確かな裏付けは取れない。さらにもう一度、同事件の加害少年の少年簿が保存されているかどうかを示す文書を開示請求したが、不開示決定だった。
矯正記録が残っている可能性は見えたが、なぜ関係者は存否さえ明かせないほど神経をとがらせるのか。その理由は、少年法にあった。
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