今も約1万8千人が避難生活を余儀なくされている能登半島地震。神戸新聞社が避難所をテーマに実施したネットアンケートには、阪神・淡路大震災の際に避難所で過ごした80人を含む計389人から回答があった。災害関連死を防ぎ、安心して身を寄せられるようにするため、何が必要か-。29年前の経験と能登の被災地を重ねながらつづられた回答からは、課題と教訓が浮かび上がる。
■プライバシー
阪神・淡路を経験した人たちからの回答には「当時をそのまま思い出させる」「ほとんど変わっていない」との印象が並んだ。神戸市内の高校に避難した60代女性(同市兵庫区)は「まさに雑魚寝。能登と同じ1月で底冷えがして、眠れなかった。食料が到着したのも1週間が過ぎてから。おにぎりは3人に一つだけで、ひもじい思いをした」と振り返る。
回答の中で特に目立ったのは、プライバシーに対する懸念や注文だった。能登では間仕切りやテントが設置されたが、まだ一部に限られている。29年前、生後5カ月のわが子と避難した神戸市の50代女性は「授乳していることが丸分かりで、とても恥ずかしい思いをした」。「避難生活のストレスで母乳がでなくなった友人がいる」という尼崎市の50代女性は「授乳や生理に対応できるプライベートスペースがほしい」と求めた。