こんにちは。上沼恵美子です。芸能界で半世紀以上、仕事をしてきて、「半生を振り返ってください」というお話をたくさんいただきます。ですから今日、この連載をスタートするにあたり、神戸新聞さんには今まで黙っていた本当のことを言おうと思います。私、ほんまはパリ生まれのフランス人なんです! なんて、こんな鼻の低いべちゃっとしたフランス人、いませんよね。
今年の4月の誕生日に古希を迎えました。70歳は69歳と違う。もう、いよいよ老婆という実感がわきました。古希という字が悪い。古い希望の希って、古来、希(まれ)ですか。でも不思議なことに体は元気になった。血糖値は相変わらず高いですが。
それから人の心が分かるようになりました。「あの人はうそをついてるな」「この人は誠心誠意やね」と。60代でも少しは分かっていましたが、それがよりくっきりと。性能のいい眼鏡が一つ増えた感じです。
夫は私の古希を忘れていました。自分の時はお祝いをしたし、母親の時も中華料理店に大勢集まってパーッと盛大にやったのに。マネジャーだけが「おめでとう」。だから自分でバースデーカードを買ってきて、飛行機の形ので、組み立てて押すと「ビュー」ってプロペラが回るんです。何回も回して自分を慰めました。
約3年前、レギュラー番組をテレビもラジオも1本に減らしたので、東京のテレビ局からバラエティーの特番などに呼んでもらう機会が増えました。ですが今の時代、オンタイムで見る人はほんの少し。視聴率はそれほど上がりません。「上沼はもう終わった」「(上沼にすがった)テレビ局は終わっている」などと、ネットでたたかれることもあります。「上沼には何を言っても平気」と思うのでしょうか。その言葉がやいばのように胸に刺さって落ち込むこともあるんです。次男は「今の地上波は洗濯板を持って売り歩く(訪問販売の)ようなもの。気にするな」と慰めてくれましたが、厳しい時代です。
それでもテレビを見て育ち、出て、成長させてもらい、稼がせてもらったのですから、衰退していくのを目の当たりにすると複雑な、悲しい気持ちになります。
古希を迎え、元気になった、その源は何かというと、怒る力だと思います。「年がいくと枯れてきますよね」ということはない。温厚になって、いつもニコニコ、ということにもなりません。はっきりさせなあかんものははっきりさせる。今、そんな気持ちになっています。
【かみぬま・えみこ】1955年、兵庫県福良町(現南あわじ市)生まれ。71年、姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」の千里としてデビュー。77年、結婚を機に芸能界を引退、出産を経て翌年「上沼恵美子」として復帰。以来、関西を拠点にテレビ、ラジオで活躍を続けている。週刊文春でエッセー「上沼恵美子の『人生“笑”談』白黒つけましょ」を連載中。