午前5時46分。兵庫県川西市の向邦男さん(68)は妻千鶴さん(62)、孫の池田睦さん(19)と一緒に神戸・東遊園地で手を合わせた。両親は炎にのまれ、骨だけが見つかった。気持ちが整理できず、初めて追悼の場に足を運べたのは約20年後。小学生だった睦さんに震災の記憶を伝えたのがきっかけだった。「31年は長く、少しずつ前進した時間やった」。小さくつぶやいた。
■「俺は幸せに過ごせてるよ」
あの日、父昇さん=当時(69)、母二三子さん=同(67)=が暮らす神戸市兵庫区上沢通の文化住宅は大火に襲われた。向さんが同市北区の自宅から駆け付けた時には建物が焼け落ちていた。
周辺の避難所を駆け回って両親を探していると、同じ住宅で被災した男性に出会った。火が迫る中、生き埋めになった妻を助けられなかったといい、手には女性の髪の毛が握られていた。「親はもう生きていないな」と覚悟した。
数日後、1人で焼け跡を訪れた。玄関があった場所で昇さんに譲ったベルトのバックルを見つけた。近くに人の骨があった。「隣や上階の住人かもしれない」と思いながら、転がっていた釜に誰のものか分からない骨を拾い集めた。
突然両親を失い、向さんの生活は乱れる。酒の量が増え、受け取った生命保険金も酒代に回した。妻と離婚し、当時の勤務先も4年後に退職した。「両親が生きていたら『なに考えとん!』って辞めるのを止められたと思う。怒ってくれる存在がいなくなってしまった」と振り返る。
震災後も実家の電話番号にかけると受話器から呼び出し音が聞こえる。震災から数年間はふとした時に番号を押した。「遺体を見てないから『逃げてどこかにおるんちゃうか』って思っていた。骨だけっていうのはつらかった」
2001年に再婚し、両親の墓に行けるようになっても、当時を思い出したくなくて命日の「1・17」は神戸で過ごせなかった。
考えが変わったのは約10年前のこと。自宅に飾る両親の写真を見て、睦さんが「2人はなんで死んだん?」と尋ねた。震災で実家が燃え、逃げ出せず焼死したと伝えると、慰霊の場に行きたいと言ってくれた。
それから毎年、千鶴さんと睦さん、弟で中学1年の龍飛さん(13)を連れ、17日早朝は東遊園地へ行くようになった。向さんは「孫に話し、少しだけ気持ちが吹っ切れた気がした」と思い返す。
今年は龍飛さんは来られず、千鶴さん、睦さんと訪れた。目を閉じると、頑固だった昇さん、優しく温厚だった二三子さんの顔がまぶたに浮かぶ。「家族のおかげで俺は幸せに過ごせてるよ」。心の中で語りかけた。(田中宏樹)























