「ハンバーグとかそんなものより、お豆が入ったひじきの煮物が大好きだったんですよ」
先月18日。小西眞希子さん(66)=神戸市灘区=は、5歳で亡くなった長女希(のぞみ)ちゃんの仏壇にひじきの煮物を供えた。この31年、月命日にずっと続けている。
遺影の写真は1994年5月、JR六甲道駅前の花壇で撮影された。阪神・淡路大震災の8カ月前だ。白や黄色のパンジーが咲いている。お気に入りの赤いスカートに、麦わら帽子をかぶってピースサイン。ちょこんと腰かけ、はにかむような笑顔でこちらを見つめている。
家族や友だちから「のんちゃん」と呼ばれ、おとなしくて本が大好きだった。四つ下の妹のベビーサークルに入って、よく童話を読んでいた。誕生日に欲しいものを聞くと、魚の図鑑をせがんだ。
当時流行していた簡易印刷機で年賀状を作ったのは94年の年末だった。勢いよく駆け出すイノシシ。その下には、ピンク色の幼い文字で「こにしのぞみ」とある。
翌年、小学校に入学するはずだった。卒業し、中学に入り、高校を出て大学に行って成人式を迎えて…。生きていれば36歳になる。眞希子さんは同年代の女性に娘の姿を重ねてきた。ただ、いくら想像してもその姿は5歳のままだ。もちろん思い出すその声も。
震災後、しばらくは何をしても涙が出て、心が押しつぶされそうだった。健康保険証や住民票など、あらゆる場所から希ちゃんの名前が消えていった。それなのに世の中は動いていく。娘のことをどれだけの人が覚えていてくれるのだろう。
「すっごく怖くて…。あの子が生きた証しを残したかったんです」。それが、胸の内をつづり始めたきっかけだった。(上田勇紀)






















