国の命令で兵庫県内の軍需工場で働かされ、亡くなった人たちの名簿が残されていた。「こんなに詳細に記録されていたとは」「名簿を基に、新たな調査に取り組みたい」-。太平洋戦争中の県内の空襲について調査、伝承している市民らは、驚きとともに、今後の活用に意欲を見せる。市民団体「神戸空襲を記録する会」は、新たに判明した神戸市内の犠牲者について、精査した上で慰霊碑に刻む方針を決めた。
「隣接府県だけでなく、遠隔地からも多くの人(犠牲者)が来ていることに驚いた」と話すのは、この名簿の存在に気付いた豊の国宇佐市塾(大分県)の織田祐輔さん(39)=姫路市出身。戦争末期の航空戦の史料を探し求めていたところ、偶然この史料にたどり着いた。
神戸空襲の犠牲者の氏名を収集している「神戸空襲を記録する会」事務局長の小城智子さん(74)は「沖縄の人から名簿の存在を聞いたことがあったが、中身を見たのは初めて。沖縄や九州の人が軍需工場にいた、との断片的な証言はあったが、それが裏付けられた。見ることができたのは素直にうれしい」。
























