天国の恩師と夢舞台に立った。14日(日本時間15日)に行われたミラノ・コルティナ冬季五輪のスピードスケート・ショートトラック女子3000メートルリレーに出場した日本代表の長森遥南(23)=神戸市東灘区出身。現地には高校生まで指導を受けたクラブの監督で、5年前に亡くなった大串雄史さん=当時(79)=の写真を携えた。「前に出て、戦え」。授かった教えを胸に、攻めの滑りを貫いた。
■「学業との両立」も大串さんの信条 「私の道を開いてくれた」
神戸大スケート部出身の大串さんは1988年、競技の普及を目指す関係者に請われ、クラブ「新神戸スピードゼミ」を立ち上げた。大学の後輩らの助けを得ながら、未就学児や小中高生らにスケーターとしてのイロハを指南した。
長森が入部したのは神戸市立渦が森小2年の頃。同世代や、後に2018年平昌冬季五輪代表となる横山大希(31)=トヨタ自動車=らとリンクで会うのを楽しみにするうち、スケートに夢中になった。神戸・ポートアイランドの練習場には大串さんと一緒に電車で通うなど、「遥南を孫のようにかわいがっていた」と妻千代さん(81)は懐かしむ。
関西学院大1年だった21年に大串さんは他界したが、常に先頭を狙う心構えや減速を抑えるコーナーワークなど、幼い頃に受けた指導は「今も忘れていない」と長森。世界の祭典に駆け上がる土台となった。
クラブ名に「ゼミ」と入れるほどに、「学業との両立」も大串さんの信条だった。長森は親和中学・高校でゴルフとスケートの二刀流を継続しながら勉学をおろそかにしなかった。大学卒業後の昨春から地元の洋菓子メーカー、シュゼット・ホールディングス(西宮市)で競技を続ける道を選んだが、大学では小学校教員や司書の資格を取得。「私の道を開いてくれたのは大串先生」と感謝する。
日本はリレーで決勝に進めず5~8位決定戦に回ったが、「新神戸ゼミの名前を背負って頑張る」と臨んだ長森は、五輪のリンクに確かな一歩を刻んだ。(初鹿野俊、山本哲志)























