能登半島地震の経験を振り返る善本凉子さん=丹波市内
能登半島地震の経験を振り返る善本凉子さん=丹波市内

 発生から3カ月がたった能登半島地震の被災地から、丹波市に避難してきた被災者がいる。災害関連死を含む8人が亡くなった石川県能登町の元看護師、善本(ぜんもと)凉子さん(83)。避難生活のストレスから来る病気で3週間入院し、2月末に同市の公営住宅に入居した。高齢で持病も抱え、今は目の前の生活で精いっぱいだが、能登で再び暮らす日を願っている。(那谷享平、伊藤颯真)

 地震発生時刻の元日午後4時10分ごろ、自宅で友人と電話をしている最中だった。「あ、地震」。友人の言葉に「今年もよろしく」とひとまず電話を切った。そこから先の記憶がないという。隣人からは揺れの後、胸を押さえて屋外に出てきたと聞いた。

 自宅は全体がひずみ、夜に避難所の小学校へ。帰省中の人もいて場所がなく、体育館の出入り口に段ボールを敷いた。寒さで眠れず、アルミホイルを脚にまいて目を閉じた。余震の度、「天井が落ちる」と思った。67歳で心筋梗塞を経験しており、服薬管理に必要な血圧計がないのが不安だった。