「公害」という言葉を見聞きする機会が減った。教科書で知り、過去の出来事と思っている人も多いかもしれない。公害が社会問題になったのは、環境汚染などが深刻化した1960年代だった。しかし被害はそこで終わってはいない。救済問題も解決しておらず、当事者による裁判や協議は現在も継続している。
昨年12月、68年に発覚した食品公害「カネミ油症事件」の被害者や支援者が現在の課題などを話し合う集会が、高砂市で開催された。
油症はカネミ倉庫(北九州市)製の食用米ぬか油を口にした人などに起きた。有害なポリ塩化ビフェニール(PCB)が混入していた。鐘淵化学工業(現カネカ)高砂工業所で製造されたPCBだったことから、毎年高砂市に関係者が集まる。
今回の集会では「ここからがスタート」という訴えもあった。被害者の声に耳を傾けてみたい。
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高砂の集会は、東京、福岡、長崎など全国5カ所をオンラインで結んで開かれた。テーマの一つは「PCB被害は世代を超えた」で、2世の被害者らの発言が続いた。
長崎で参加した下田恵さん(34)は「頭痛や腹痛、ぜんそくなどさまざまな症状に苦しんできた」と語った。下田さんの母は油症認定患者なのに恵さんは認定されていない。
「私のような症状は『一般の人にもある』と言われてしまうが、頻度や症状の重さが違う」とし「体調のことでは親にも話せないことを抱えてきた。心配をかけたくないから」と複雑な心境を吐露した。食品公害が今に続く問題と実感させられる。
一つの組織として
油症は「病気のデパート」と表現される。吹き出物などの皮膚症状をはじめ内臓疾患、倦怠(けんたい)感や痛みなどの全身症状がある。被害は福岡や長崎を中心に西日本に広がり、1万人を超える人が訴えた。ところが認定患者は2300人余りにとどまる。油を摂取した人はもとより2世、3世の救済は重い課題である。
被害者側がカネミ倉庫、カネカ、国を訴えた裁判などを経て、2012年にようやく被害者救済法ができた。ただ、年24万円の補償額は他の公害などと比べても格段に低い。
法施行後、被害者とカネミ倉庫、国の3者協議が始まった。被害者団体は各地にあり、議論がまとまりにくいのが悩みだった。そこで19年にカネミ油症被害者全国連絡会が結成された。現在は14団体が加わり、横のつながりを強めている。
全国連絡会世話人会代表の曽我部和弘さん(59)=大阪府=は「一つにまとまったことで、国や原因企業を相手に救済へのしっかりとした話ができるようになった」と話す。
生きる権利を守れ
全国連絡会などは20年、次世代の救済や健康実態調査などを求める要望書を厚生労働省に提出した。国は重い腰を上げ、翌年8月に被害者の子や孫を対象にした初めての調査を始めた。大きな一歩だった。
下田さんは「次世代の救済をあきらめようと思ったこともある。しかし調査が始まり、油症検診の会場で若い人の姿を見るようになった」と調査開始の意義をとらえる。
調査は全国油症治療研究班(事務局・九州大医学部)が行っている。中間的な報告では既に、油症特有の症状のある人が多いことが明らかになった。救済の幅を広げる新たな認定基準に結びつけてもらいたい。
「私たちは最低限の補償を求めているだけ。国は生きる権利を守ってほしい」と曽我部さんは訴える。
高砂の集会では、兵庫や沖縄など全国の河川や地下水から高濃度で検出されている有機フッ素化合物(PFAS(ピーファス))に関する発言もあった。分解されにくい化学物質であり、体に入ると健康被害が起きうる点で「PCBと全く同じ」との指摘だった。
食品公害は現代の暮らしから縁遠いように見えても、PFASのように実はすぐ近くにある。油症被害者が求める「生きる権利」は、私たち全員に関わるものだ。わが事として油症救済への関心を深めたい。