全国の中山間地域で野生動物による農作物被害や人里への出没、いわゆる「獣害」が深刻化の一途をたどっている。イノシシやシカが丹精込めた田畑を一夜にして荒らし、サルが集落を徘徊(はいかい)する。近年はクマが人に危害を加える痛ましい報道も後を絶たない。
農林水産省によれば、2022年度の野生鳥獣による農作物被害額は156億円に上る。だがこの数字は氷山の一角に過ぎない。金額には表れない営農意欲の減退、集落の疲弊、そして「いつ襲われるか分からない」という恐怖は静かに、しかし確実に人々の暮らしをむしばんでいる。
この事態を前に、私たちはつい「害獣を駆除せよ」「個体数が増えすぎた」と、動物側に原因を求めがちだ。一方で動物愛護の観点から、性急な駆除に反対し共生を主張する声も聞かれる。どちらにも一理あるが、この対立軸で議論するだけでは本質を見誤る。問題の根源は私たち人間の側にある。人と自然との「関わり方」が大きく変化した結果、両者の間にあったはずの「境界線」が曖昧になり、ずれてきたことに起因する。
ずれた境界線の象徴が、荒廃した「里山」である。
■ずれた「境界線」を引き直す
「里山」という言葉からはのどかな田園風景を思い浮かべがちだ。しかし、本来の里山は単なる風景ではない。薪や炭、堆肥にする落ち葉や山菜などを採るため人々が利用し、管理してきた「資源の場」であり、人の手入れによって維持されてきた「二次的自然」を指す。人里と奥山の中間に位置するこうしたエリアの多くは行政上、「中山間地域」と呼ばれ、現代日本が抱える過疎化、高齢化、獣害といった課題が凝縮する。
かつての里山は、人が日常的に山に入ることで過度に繁茂することなく、地面まで光が届く明るく見通しの良い森として維持されてきた。動物にとっては隠れる場所が少なく、越えがたい一線であった。管理された里山は、野生動物と人間の暮らしを隔てる絶妙な緩衝地帯として機能していたのだ。
この均衡関係は、1960年代の高度経済成長期を境に急速に崩壊する。石油やガスへのエネルギー革命と化学肥料の普及は、山の暮らしから薪採りや落ち葉かきの必要性を喪失させた。安価な輸入材に押され、林業も衰退した。人々は里山から遠ざかり、過疎化と高齢化が流れを決定的にした。
里山は光を失い、下草やツルが生い茂る暗い森へと変貌した。荒廃した里山は、野生動物にとって絶好の隠れ家であり、人里に接近する「最前線基地」となってしまった。さらに、高齢化や担い手不足による耕作放棄地が、放置された果樹や雑草といった豊富な食料を提供する。近年の暖冬傾向や積雪量の減少がその傾向に拍車をかけた。いまや動物たちの出没を妨げるものは極めて少ない。
これが「獣害の激化」の構図である。問題は動物の増加以上に、人間が里山から撤退し、境界線を自らずらしたことにあるのだ。人口減少と高齢化が進む中、私たちは獣害時代における新たな関係性の再構築を迫られている。
処方箋は三つの視点からなる。
第1は、「獣害から暮らしを守る」ための里山管理の徹底である。集落や農地を囲むように幅数十メートルの帯状に木々を間伐し、下草を刈り払う。動物が隠れられない「明るい緩衝地帯」を意図的に再生するのだ。地域共同体の安全保障であり道路と同じインフラ整備と捉えるべきだ。農家の自助努力でなく、行政による財政支援と実行体制の構築が不可欠である。
第2は、テクノロジーとの共存である。センサーカメラやドローンによる生態調査と出没予測、ICT(情報通信技術)を活用したわなの遠隔監視、効果的な電気柵の設置・維持管理など「スマート防除」への移行は急務である。
第3が、都市との新たな関係性の構築だ。都市住民が「関係人口」として多様な形で関わる仕組みが重要になる。企業がCSR(社会的責任)活動やSDGsの取り組みとして、社員研修やワーケーションに里山整備を組み込む。獣害対策の最前線を「社会課題解決型ツーリズム」として提供し、外部の知見と労働力を呼び込むのだ。都市側にもメリットがある「Win-Win」の関係をデザインできるかが鍵となる。
そう考えると、近年頻発する自然災害の被災地で、過疎が進む地域の復興を「コンパクト化」の論理で進めることが唯一の正解なのかとの疑問が生じる。2004年の新潟県中越地震で全村避難を余儀なくされた旧山古志村(現・長岡市)の住民たちは帰村し、不可能と思われた集落の再建を果たした。行政や経済の合理性から見れば非効率かもしれない。しかし過疎の最前線で暮らし続ける人々こそが、荒廃する里山を管理し緩衝地帯を維持してくれる貴重な担い手であり、関係人口を結びつけているのではないか。
獣害は、自然との境界線を管理できなくなった社会のゆがみが表出したものだ。荒ぶる里山との新たな境界をいかに引き直すか。社会全体でそのコストと役割を分担し、向き合うべき課題である。
(さわだ・まさひろ=兵庫県立大大学院減災復興政策研究科准教授)

























