2020年6月に兵庫県宝塚市で起きたクロスボウ(洋弓銃)4人殺傷事件。神戸地裁で開かれている公判の最大の争点は、被告の野津英滉(ひであき)(28)の責任能力の有無だ。検察が主張する死刑か、弁護側が訴える心神耗弱を認めるか。裁判員裁判の判決が31日に近づいている。
■二つの発達障害
公判では野津の精神鑑定をした3人の医師らが出廷した。
野津に二つの診断があったことに争いはない。「自閉スペクトラム症」(ASD)と「強迫性障害」だ。
3人のうちの1人で臨床心理士の大久保恵によると、ASDは発達障害の一つで、その診断には主に三つの基準がある。
一つが表情や声のトーン、比喩表現などの理解が難しいことから来る「言語的なコミュニケーション障害」。二つ目が、相手の気持ちや場の空気を読めないことで生じる「社会性の障害」。最後が、想像力の欠如やこだわりの強さから来る「興味・関心の限局」だ。この三つを併せ持つ場合に診断名が付き、「スペクトラム(連続性)」という名称の通り、程度は個人差が大きく、支援の必要性から3段階のレベルがある。
もう一つの「強迫性障害」は強い不安により日常生活に支障が出る症状で、野津の場合、ASDは軽度だが、2次症状で発症したとされる。二つの障害が事件にどんな影響を与えたか。審理の焦点はそこに絞られた。
■精神鑑定で「感情を出すことに必要以上の恐れ」
大久保は、野津の体調や反応を見ながら複数の検査を実施している。およそ4カ月間にわたって数十時間もの面談を重ね、信頼関係を構築しながら内面に迫っている。
「感情を出すことを必要以上に恐れている。しかし、押さえ込んだ不安や不満への耐性は低く、それを表現する言葉の力も弱い。おそらく彼にとって一番分からないのは自分の感情だったでしょう」
過去の診断記録から、野津の知的能力は11歳時の「知能指数」(IQ)が106、知能や社会性を示す「発達指数」は18歳時に120と、いずれも平均(100)を超えている。一方で、母は境界性知能と発達障害を、弟も発達障害を抱えており、野津は家族に愛情や理解を求めても得られないと感じていた。
心理検査の中で、裁判員らが身を乗り出して聞き入ったのが「バウムテスト」に関する証言だった。紙に木の絵を自由に描かせる検査で、無意識の感情や葛藤が表れやすい。野津は1時間以上かけて初日に「らせん状の樹冠の木」、2日目に「くねくねと蛇行する幹に、綿毛のような葉が描かれた松の木」を描いた。
枝や葉を覆うらせん模様は思考がまとまらない様子、蛇行する幹は成長過程で何らかの外的圧力を受けた形跡を示していた。葉の描写からは強迫的な粘着性と繊細で傷つきやすい感受性の同居がうかがえた。
未完成の文章を自由につくる「文章完成法」の検査では「家族」に続く言葉をつづっている。
「家族とは…人にとって大事なもの」
「私を不安にさせるのは…家族」
「家族のつながりからはどのみち逃れられない」
「子どもの頃、私は…独りだった」
「私が嫌いなのは…母親」
「もし私の母親が…まともな人間だったら」
否定しながらも、野津の関心のほとんどは家族に注がれていた。
精神鑑定で明かされた家族との関係、自身の障害、心理面での葛藤。しかし、野津が大学生活やアルバイトなどを続けていたことから、鑑定医らはいずれも「野津のASDは重くない」と診断している。その上で、「ASDによる特性が、計画や行動の準備に影響した可能性はあるが、家庭に不満を持ち、殺害しようと考えた動機は十分に了解可能だ」として、「影響の程度は小さい」と結論付けた。
■届かなかったサイン 「このまま僕が死ねば誰にも知られることがない」
ASDは生まれつきの脳機能の障害だ。日本人の約100人に1人といわれ、グレーゾーンを含めると約20~40人に1人という調査結果もある。
同質性が高く「空気を読む」ことが重視される日本社会においては生きづらさを抱えやすく、強迫性障害や双極性障害(そううつ病)、統合失調症などの2次症状を起こしやすいことが知られており、近年では幼少期からの診断や支援も進んでいる。
野津も中学生の時に診断を受けており、母親にも同様の特性があった。1歳下の弟は注意欠陥多動性障害(ADHD)を抱えている。だが、一家が行政や福祉などから継続的に支援を受けた形跡はない。鑑定医の土居は「家庭には本当にいろいろな大変さがあったと思う。家庭への積極的な働きかけがあれば、結果は違っていたかもしれない」と悔やむ。
虐待や貧困、発達上の課題など子どもに関わる問題は、親のメンタルヘルスや経済状態、障害や養育力などと深く関係していることが少なくない。
さまざまな困難を抱えた家族の暮らしを、社会が継続的に支えるという「家族まるごと支援」の考え方が取り入れられたのは、24年の児童福祉法改正でのことだ。
法改正により、これまでのように、学校や福祉、医療などが縦割りで個別に支援するのではなく、互いに連携しながらチームを組み、家族全体にアプローチすることで、より根本的に持続的な問題解決を目指す。子ども家庭センターの設置など、リスクのある家庭を見守る仕組みが出来上がりつつある。
野津は事件の動機について、こう語っている。
「このまま僕が死ねば、どういう理由でこういうことをしたか誰にも知られることがない。どうせ死ぬなら最後に、どんな家で、自分がどれくらい苦しんでいたか。言わないと意味がないと思いました」
言葉で伝える力が乏しいという特性がある野津が発していたサインは誰にも届いていなかった。
もし、野津と家族が抱えた苦しみを共有してくれる体制があれば、その結果は違っていたろうか。
検察側は野津に「完全責任能力があり、極めて自己中心的、悪質」として死刑を求刑。弁護側はASDなどによる心神耗弱状態にあったとして減軽を求めている。(敬称・呼称略)

























