前回休暇云々(うんぬん)と書いた直後から実はライプツィヒに行っていた。休暇ではなく国際バッハ・コンクールの審査のためだが(なんと審査員長を仰せつかった)、日中暑いといっても湿気は低く、夜は涼しいほどの環境なので日本の人々には申し訳ないくらいである。このコンクール、ヴァイオリンとチェロが2年おきの交代つまり4年に1度、ほかに声楽とオルガン、ピアノの部門がある。日本ではそれほど知られていないかもしれないが、始まったのは1950年、第1回の審査員にはショスタコーヴィチがいたというから驚く。
前回休暇云々(うんぬん)と書いた直後から実はライプツィヒに行っていた。休暇ではなく国際バッハ・コンクールの審査のためだが(なんと審査員長を仰せつかった)、日中暑いといっても湿気は低く、夜は涼しいほどの環境なので日本の人々には申し訳ないくらいである。このコンクール、ヴァイオリンとチェロが2年おきの交代つまり4年に1度、ほかに声楽とオルガン、ピアノの部門がある。日本ではそれほど知られていないかもしれないが、始まったのは1950年、第1回の審査員にはショスタコーヴィチがいたというから驚く。