私たちは、21年前に前妻の章江さんを亡くした西宮市の吉田利康さん(71)の話を聞いている。章江さんが最期の場所に選んだのは、家族のいるわが家だった。2人の息子は大学生と中学生だった。
家族は最期の日々をどう過ごしたのだろう。「本当に病人? って感じやったんです」と利康さんが言う。
◇ ◇
1999年5月14日。病院から自宅に戻った章江さんの表情は、生き生きとしていたそうだ。病院ではほとんど食事を取れなかったが、ファミリーレストランに出掛けて大好きなパスタを口にした。
看護師だった章江さんは育児のためいったん仕事を辞め、子育てが一段落すると再び働き始めた。次男はまだ小学4年生だったので、寂しい思いをさせたと思っていたようだ。病気が分かると、「(次男が)大学に入るまでは生きていたい」と漏らした。
それが無理だったとしても残りの時間は精いっぱい、家族に愛情を注ごうと思っていたに違いない。自宅に戻った章江さんは毎朝、夫や息子たちを玄関で見送った。
退院から半月がたった5月29日、利康さんが朝4時ごろに目を覚ますと、章江さんは上半身を起こし、たんすにもたれていた。
「大丈夫か?」と利康さんが声を掛け、息子たちも起きてくる。すると返事の代わりに、章江さんがニコッと笑った。それが最後のコミュニケーションとなる。
すぐに医師を呼ぶ。強心剤を打たれた章江さんが眉間にしわを寄せる。「体をさすると、手ではらいのけるんです。七転八倒というか、とにかく痛みがきつそうでした」
翌日の朝。利康さんと息子たちが見守る中、布団に横たわっていた章江さんはぐっと上半身を起こし、大きく息を吸い込む。そのまま倒れ、臨終を迎えた。
◇ ◇
章江さんの最期の光景を語り終えた利康さんが、疲れた顔を見せる。一呼吸置くと、今度は残った家族のことを話し始めた。
「亡くなって半年ぐらいたってからですかね、困り始めたのは。男ばっかりやからか、会話も減っていくんです。『いただきます』『ごちそうさま』ぐらいで…。僕自身は、酒に助けられたかな」。そう言って、力なく笑った。
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