「まだ温かい父の手に触れて、あーこんな手やったなって昔を思い出しました」
私たちは大阪市の福岡紗妃(さき)さん(29)の話を聞いている。脳出血で倒れた父親が脳死と判定され、臓器を提供することになった。
摘出手術の日の朝、福岡さんは病室を訪ねる。「頑張っておいで」と父親の手を握ったとき、幼い頃の記憶がよみがえってきた。
「うちの家族は外出したら、私が兄と並んで歩き、父と母が手をつないでいました。でも、父の仕事が休みの日は幼稚園へ迎えに来てくれて、父と手をつないで帰ったんです」。病室で触れた手のひらは大きく、幼い頃と同じ感触だった。
◇ ◇
病室にいたのは5分間ぐらいだったそうだ。思い出に浸った福岡さんは、職場のエステティックサロンに向かう。
「お父さんの手術に付き添わなかったのですか?」。私たちがそう聞くと、「父は仕事に誇りと責任を持っていた。私が父のために仕事を休むと嫌がるかな、と思ったんです」とはにかんだ。
福岡さんの家族には、兵庫県臓器移植コーディネーターの今村友紀さん(33)が付き添った。西宮市の兵庫医科大学病院を拠点にし、臓器提供について家族に説明する。
今村さんは、手術前の福岡さんの母親の様子をよく覚えている。
「手術の準備を『ちょっと待ってください』って止めたんです」。そのまま父親の体に触れて、覆いかぶさった。目には涙があふれている。
「手術室へ淡々と向かうことに、耐えられなかったのでしょうか。『私が行ってくださいと言ったタイミングでお願いします』って、周りに伝えていたと思います」。今村さんが言葉を選びながら、私たちに教えてくれる。
◇ ◇
仕事を終えた福岡さんが病院に戻ると、父親は黒っぽいスーツを着せられていた。ネクタイはミッキーマウスの柄が入ったお気に入りの一本。
「もともと色白でしたが、朝より血色は悪くなっていました。私は脳死判定の場で父の死が自分の中に入ってきていたので、悲しさはあまりありませんでしたね」
指でそっと父親の頬に触れてみる。もう冷たくなっていた。
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