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第5部 三歩進んで、二歩下がり

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(絵本「いびらのすむ家」より) (絵本「いびらのすむ家」より) (絵本「いびらのすむ家」より)
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(絵本「いびらのすむ家」より)

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 愛する家族と死別した人たちに伺った話をまとめた連載「三歩進んで、二歩下がり」(全21回)に、読者からたくさんの手紙やファクス、メールが寄せられました。亡き家族の思い出、闘病中やみとりのこと、そして、死別してからの日々…。心の中の大切な記憶や思いがつづられた手紙の一部を紹介します。(紺野大樹、中島摩子、田中宏樹)

■白血病の妻は「お荷物になってしまったね」と言った

 記事を読んでいると、私と重なるところが多く、毎日読むのが楽しみな半面、つらさもありました。私も2年半前に妻を急性骨髄性白血病で亡くしました。44歳でした。私たち夫婦には子どもはいませんでした。仮にいたとしても、お母さんのいない子にするのはかわいそうですし、私一人では到底育てられないと思います。しかし時間の経過とともに、子どもがいてくれた方が話し相手になり、また生きがいになったのではと思うと複雑です。

 妻は発病から亡くなるまで、ちょうど1年の闘病生活でした。病気が分かる1週間前には、普通に1泊旅行に行っていました。以前から開業医にかかっていて、偶然、血液検査をしたところ、白血病が疑われ、翌日、神戸市内の病院を受診しました。あまりの元気さに先生も信じられないようでしたが、白血病が確定。半年前の血液検査では異常なし、前兆もなく、まさに青天のへきれきでした。

 本人は極めて元気でしたが、若いこともあり、病気の進行が速く、一刻も早く移植しなければ助からないと言われ即入院。ドナーの都合にも左右される骨髄移植では間に合わないかもしれない、と言われ、臍帯血(さいたいけつ)移植を行い、いったん寛解状態になり退院しました。しかし3カ月後に再発し、次は弟からの造血幹細胞移植を行いましたが、また再発。最後は緩和ケアの病院に1カ月半入院し、他界しました。最期は、「緩和」とは言いがたいほど痛みに苦しみました。妻の父親は早くに亡くなっていて、その月命日に逝きたい、逝かせてと何度も言っていました。

 私は仕事を辞めて、半年あまり看病しました。結果的に寂しい思いをさせる時間が少しでも短くて済んだかなと、自己満足でしかない思いです。

 記事を読んでいると、私と重なることばかりでした。夫婦で一緒に行った所には行きたくない気持ちもよく分かります。2人で度々旅行に行き、特に病気が分かる前年からは、虫の知らせか、毎月のように行っていました。休日にはショッピングや食事に出掛けました。よく入っていた店の前はいまだに通りたくないです。仲が良さそうなカップルを見ると涙が出ます。近くのショッピングセンターでは妻に似た人を見たことがあります。見て見ぬ振りをしてそのまま去りましたが、しばらくするとまた目の前に現れ、すれ違ったり…。

 妻の部屋に仏壇を置いているのですが、お菓子を供えようとして、封を開けるのにはさみを取ろうと、妻が使っていた鏡台の引き出しを開けました。すると、不思議なことにハッピーバースデーのオルゴールが鳴り始めたのです。どこから鳴っているのか必死で探しましたが、分からないまま演奏は終わりました。それは私の誕生日近くの日でした。オルゴールが鳴ったのは後にも先にもその時だけでした。

 もう延命を諦めた後は、有馬温泉や結婚式を挙げたホテルに宿泊に行きました。ホテルに泊まった夜、妻がベッドの中で「お荷物になってしまったね。でも病気になる前の年から、何回も旅行に行けて良かった。神様が『今のうちに行っておきなさい』と教えてくれたのかもしれないね」と私に話し掛けてきました。私は布団にもぐり、何も答えられませんでした。

 妻が亡くなった直後、私自身はなぜか達成感のようなものがあり、もうみんな終わった、やり遂げた、悔いはないという気持ちが正直ありました。よく「年月がたてば」と言われますが、私の場合、月日がたつにつれ、余計につらさ、寂しさが出てきています。(神戸市、50代男性)

     ◇     ◇

■お母さんに親孝行できなかった分、これからお父さんに親孝行していく

 「三歩進んで、二歩下がり」という言葉を見て筆を執りました。お母さんに会いたい、話がしたいと涙の毎日です。

 母は5人の子どもを育て、私たちきょうだいが仕事をしているため、10人の孫まで育ててくれました。やっと10番目の孫も昨年4月から幼稚園に通い、父と「ゆっくり2人で楽しもうな」と話していたそうです。

 昨年5月25日、朝からいい天気でした。父と母は翌日が神戸新聞社主催の金婚式のお祝いで、当日着ていく服も購入して楽しみにしていました。子どもたちがサプライズをしてくれると思い、朝からお礼の品を2人で買いに出掛けたそうです。

 その後、父は1時間ほど船のペンキを塗ってくると家を出ました。帰ると、さっきまで元気だった母がいびきをかいて倒れていました。父はすぐに救急車を呼びました。母は人一倍明るく忍耐強かったので、母が倒れるなんて思ってもいなかったです。

 私が病院に行き、医師に「明日の金婚式に出席できますか」と尋ねると、「明日はさすがに無理ですね」と言われました。でも、私は母がすぐに退院できるとばかり思っていました。翌日、夫と金婚式の会場で事情を話し、感謝状と記念品の写真立てなどをいただきました。すぐに母の病院に行き、父と母の前で夫が感謝状を読み上げ、手渡しました。

 翌日、医師から「この先、植物状態になるかもしれない。延命治療をするか、家族で話し合ってください」と言われ、初めて事の重大さが分かりました。その日に父やきょうだいが集まり、泣きながら話しました。「お母さんは強い人やから絶対に奇跡を起こしてくれる」。医師にできることはしてもらい、家に連れて帰ろうと決めました。

 父も私たちきょうだいも、一分一秒でも母のそばにいたくて、面会できる時間はずっと母のそばにいました。その日の出来事やたわいもない話をしました。

 母が倒れて5日目、母がずっと涙を流し、父が「寂しかったんか?」と涙をふいた時に母が右手を動かしました。皆が「お母さん分かってるんや」と話し、久しぶりに明かりが差した気分で病院を後にしました。

 翌日の早朝、4時半すぎに弟のお嫁さんから電話があり、「すぐに病院へ行ってください」と言われ、慌てて向かいました。母は血圧がすごく下がっていました。父、子どもたち、孫が駆け付けました。神戸から向かう私の娘は間に合わないかと思いましたが、母が皆の顔を見るまで頑張ってくれました。入院してから意識は戻らず、金婚式で着るつもりだった服にも手を通さないまま、5月30日に71歳で帰らぬ人となりました。

 お母さん本当に本当に今までありがとう。お父さんとお母さんの子どもに生んでくれてありがとう。お母さんには感謝でいっぱいです。

 金婚式のお祝いでいただいた写真立てには、私たちきょうだい5人から渡そうと思っていたメッセージを入れて飾っています。お母さん、今まで働き過ぎたから、今はゆっくり自分の時間をつくって楽しんでくださいね!

 まだ「三歩進んで、三歩下がり」ですが、お母さんに親孝行できなかった分、これからきょうだい5人でお父さんに親孝行していきます。お母さんが教えてくれた「人間、正直まじめであること」「勤労の大切さ」をこれからも大切に守っていきます。(兵庫県播磨町、40代女性)

     ◇     ◇

■別れは突然。心の準備もないままむなしさだけが残る

 その時がくるまで母は死なない、いつまでもそばにいてくれると思っていました。

 1996年5月、肺炎と診断され、2カ月の入院で亡くなりました。最後の夜、病室を見渡し「こんな御殿みたいな部屋で、金糸、銀糸の衣装を着せてもらってありがたいことです」と言い、プリンをぺろりと食べて「ああおいしかった。もう思い残すことはない」と口にしました。

 医者の「今夜が峠です」の言葉通り、最後まで人にお礼を言い、楽しい雰囲気をつくってくれ、親類の人たちに見守られ旅立っていきました。母には着ていた浴衣が金、銀に輝く着物に見えていたのでしょうね。

 私は母が亡くなった年齢を過ぎましたが、母以上の人にはまだ出会ったことはないほど、今も母を手本に生活しています。もし、願いがかなうなら、来世も母の娘として出会いたいと願わずにはいられません。

 2004年6月には、弟の調子が悪いと連絡を受け、四国まで車で向かいました。家に入ると、近くの医師が来て弟に点滴をしていました。すぐに救急車を手配し、着替えさせている時に家の柱で頭を打ち、出血が止まらなくなりました。搬送先の病院で亡くなったことを告げられました。

 家に着いた私としっかり話ができ、待っていてくれたんだなあと思うと涙が止まりませんでした。永遠の別れは突然やってくるのですから心の準備もないままむなしさだけが残ります。霊安室で弟と対面した時、一気に切なさがこみ上げ、悲しみが止まらなくなり、自分を抑えるのに必死でした。

 家で家族にみとられながら往生できる人はある意味、幸せな人と言えましょう。現実、なかなか思い通りにはいかず、この世に心を残して旅立つ人も多いと思われます。どんなに富と名誉があっても、あの世に持っていけるのは徳積みしかないのです。人間、生まれてくる時もひとりですが、死んでいく時もひとりなんです。(兵庫県明石市、70代女性)

     ◇     ◇

■「お前はしっかり生きてくれ」。夫の言葉がよみがえる

 2月7日掲載の記事「消えてなくなりたい」を読み、思わずペンを取りました。私も昨年12月30日、夫を食道がんで亡くし、(記事に出てくる)吉田恵子さんと全く同じ思いでいるからです。

 7カ月に及ぶ長い入院。難しい手術を2度も受け、「もうだめかもしれない」という局面を何度も乗り越えて、夫が家に帰ってこれた時はどんなにうれしかったことか。

 食道を全摘し、喉から全く物が通らなくなった(自分のつばさえも)。夫の唯一の生命線は腸ろうの管だけ。そんな体になっても、夫は生きることに前向きでした。

 「おいしい物は食べられないけれど、今度、温泉に泊まりに行こう。もう少し体力がついたら一緒にゴルフに行こう」と希望を語っていました。

 家に帰ってきてからたった1カ月半後に再び、がんが見つかりました。今度こそ何も打つ手がない。唯一できることは、抗がん剤治療だが、それも希望は薄いとのドクターのお話に、夫は治療を断りました。

 そんな無情な宣告にただただ泣きながら病院を出た私の横で、気付くと、夫は病院の正面玄関に向かって深々と一礼していました。覚悟を決めた夫の後ろ姿でした。

 入院中、早く家に帰りたいとずっと言い続けていた夫。これからは最期まで、今まで通り2人で家で過ごすと決めました。その間、愚痴を言うことも、泣き言を言うこともせず、日々細ってゆく命の綱を感じながらも普段通りに日々を送り、夫を含め家族皆で遺影の写真を選び、夫が大好きだった曲で送ることも決めました。そして夫は旅立っていきました。

 休日の雑踏に出るのが嫌いになりました。仲良く連れ立つご夫婦の姿ばかりが目に入ってしまうからです。私には子どもたちも孫たちもいます。それぞれが皆、私をとても気遣ってくれています。しかし、夫を失ったこの胸の大きな穴は、誰にも何者も埋められないことを実感しています。

 「お前はしっかり生きてくれ」。覚悟を決めた夫の言葉がよみがえります。(兵庫県姫路市、60代女性)

     ◇     ◇

■このごろ、亡き母と同じことをしていると気づいた

 父母はいずれも老衰で亡くなりました。長生きだったので、私は少しずつ親の死を受け入れる準備をしていたつもりでしたが、死別した時は大きな悲しみでした。

 それでも、仕事や子育てなど日々の生活に追われ、月日がたつにつれ、悲しみは和らぎ、今は思い出の中に父母は生きています。

 私はこのごろ、母と同じことをしている自分に気がつきました。すきま風を防ぐために窓際に段ボールを置いたり、腰にセーターを巻いたり…。「母の子やな」とつながりを感じます。

 そして、以前、父が「困って悩んでいる時、夢に死んだ父母が出て、助けに来てくれた。それで元気が出た」と言っていましたが、私も同じことがありました。

 私が困っていた時、父母の夢を見ました。父母が「元気を出せ」と助けに来てくれたんだと思ったらうれしくなって、頑張ろうという気持ちになりました。

 祖母が「親は死んだ後も守ってくれる」とよく言っていました。親の愛の大きさをつくづく感じます。

 私も古希になり、これから老いに向かう人生ですが、「親はいつも守ってくれる」と信じて、気を強く持ち、ゆっくりと人生を送りたいと思っています。(兵庫県加古川市、70代女性)

     ◇     ◇

■今でも夢かと思うことが…夢であってほしい

 連載を読むのがつらい。でも、肉親の死をどのように乗り越えておられるのかと思いながら読ませてもらっています。

 病気で亡くなられた方、突然別れがやってきた人などさまざまですが、悲しみは同じだと思います。

 私ごとですが、2016年6月、長男の嫁からの電話で人生は変わってしまいました。長男を亡くしました。

 前日まで元気に仕事に行っていたのに、土曜日の朝に倒れ、そのまま天国へ旅立ちました。くも膜下出血で45歳でした。本人が一番悔しかったと思います。

 何度も何度も呼び掛け、頬をたたき、体を揺すっても答えてくれず、何が起こったのか…?

 当時のことはあまり記憶になく、必死で名前を呼んでいたのが鮮明に残っています。もうすぐ4年になりますが、悲しみ、つらさは増すばかりです。今でも夢かと思うことがたびたびあります。夢であってほしい。(神戸市西区、70代女性)

2020/3/5

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