大阪市の福岡紗妃(さき)さん(29)の父親は職場で倒れ、意識がなくなった。福岡さんが20代半ばの頃のことだ。
家族の承諾を得て、臓器提供のために脳死状態かどうかを判定する検査が始まる。
母親は「そんなん『だんなさんは死んでます』って伝えられる時間や。見られへん」。2歳上の兄は体調を崩し、福岡さんが1人で検査に立ち会うことになる。
たった1人で、怖くなかったのだろうか。私たちが尋ねると、福岡さんは「私はそれまで人の死に触れたことがほとんどなかった。立ち会って最期を見届けないと、父の死を納得できないと思ったんです」と答えた。
◇ ◇
脳死判定は集中治療室の個室で進められた。福岡さんは父親の足元に立ったまま、じっと様子を見守っている。医師が脳波を計測し、瞳孔の動きを確認する。耳に水を入れ、まぶたに綿棒を当てて、反応を調べていく。
1回目の判定は「脳死」。6時間ほど空け、同じ手順で2回目が実施される。検査が終盤にさしかかったとき、福岡さんは悲しみを抑えられなくなる。「あれは、一番最後にする無呼吸テストの前の検査でした」と福岡さん。
「父の脚をバンバンとたたいたんです。『これ反応せんかったら、終わりやねんで。反応してよ!』って泣いてね」
医師から「中断しましょうか?」と声を掛けられたが、福岡さんは「大丈夫、私は強いから」と断る。家族で話し合って決めた臓器提供をやめるわけにはいかない。
「でも、やっぱり反応してほしかったなあ。これが最後なんやって、父が亡くなるのが悲しかったです。父の死が自分の中にガーンと入ってきたのが、このときでした」
そう振り返って、福岡さんがかばんからハンカチを取り出す。そして「やっぱ泣いてまう」と、目元をぬぐった。
◇ ◇
父親は2回目の判定でも、自発呼吸や刺激への反応が確認されず、死亡が宣告される。最後まで見届けた福岡さんは医師に頭を下げ、父親に「おつかれ」と声を掛ける。
臓器摘出手術は翌日に決まった。病室に戻った父親は人工呼吸器がつけられたままで、死を告げられたはずなのに体が温かい。「不思議な時間でしたね。母も『まだあったかいね。変な感じ』と言っていました」