仙台空港から北へ車を走らせる。私たちは宮城県の内陸にある登米市に向かった。仙台市から70キロほど離れ、北は岩手県に面している。
市街地の小さなマンションの一室を訪ね、玄関のインターホンを押す。「どうぞー」と扉が開けられ、住人の佐々木由香さん(38)が顔を出した。短くあいさつを交わし、家に上がる。
部屋に入ると、壁際の棚に置かれた写真に目がいった。まだ幼い子どもが満面の笑みを浮かべている。
「これは2歳3カ月ごろですかね」と佐々木さん。2008年10月に生まれた長男の虎徹(こてつ)君の写真という。「ミカンを投げたり冷凍庫のアイスを全部食べたり、わんぱくな子でした。私が携帯電話に夢中になってて、後ろから髪を切られたこともありましたね」と懐かしむ。
虎徹君は9年前、東日本大震災の津波で亡くなった。2年4カ月の命だった。
◇ ◇
佐々木さんの家は当時、宮城県気仙沼市本吉町にあった。借家の一戸建てで、夫と虎徹君と3人で暮らしていた。
あの日、虎徹君が昼食を食べ終え、スタジオジブリの映画「魔女の宅急便」を見せていた時、地震が起こる。本吉町は震度5強。強い揺れで家の花瓶が倒れる。
佐々木さんは虎徹君を抱き、外へ出る。大津波警報が出されたが、自宅は海から3キロほど離れている。近所の人と「ここまで津波は来ないから」と言い合い、家に戻った。
しばらく部屋を片付けていると地響きのような音が聞こえた。慌てて2階へ上がり、泣きじゃくる虎徹君を抱きしめる。家が津波にのまれ、傾いたまま流されるのが分かる。「このまま死ぬんだな」。そう思いながら、意識が遠のいていく。
どれくらい時間がたったのか、水面から顔を出せた。家屋やがれきが水に浮いている。つかめるものがなく必死にもがき、高台の土手にいた人たちに引き上げられた。
抱いていたはずの虎徹君は、腕の中にいなかった。「息子が、息子が流された」。あざだらけになった体を震わせ、何度も訴えた。
◇ ◇
佐々木さんがつらい体験を話しながら、私たちにつぶやいた。「あの時、息子は『ママ怖い、ママ怖い』って言ってね。その言葉が忘れられないんです」
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