母が54歳の時に産まれた女の子。出生の秘密とは…(いずれも提供写真)
母が54歳の時に産まれた女の子。出生の秘密とは…(いずれも提供写真)

「私は日本人の両親の元に産まれました。でも、顔立ちは日本人離れしています」。そんな書き出しで、自身のバックグラウンドを綴った女性の投稿が、SNS上で話題になっている。女性は現在28歳。母は54歳の時に自然分娩で産んだ。20歳を過ぎて女性が知った“出生の秘密”とは-。

■アメリカで卵子提供

インスタグラム名・erincoさん(@erincogram_)。目鼻立ちがくっきりした顔立ちで、くるくるのロングヘアがチャームポイントだ。

自身が、周りの人と「違う」と感じたのは小学生の頃。周りから「ハーフ」「何でみんなと違う顔なの?」と言われ、気にし始めた。両親に尋ねると、「日本人だよ」。そのため、先祖に海外の血縁があるのかと推測していたという。「見た目がコンプレックスで、髪を縮毛矯正でストレートにしたり、人見知りになったりしたこともありました」と振り返る。

出生の疑問はずっと心に残り、20歳の頃、父に思いきって聞いた。すると、父は「ハーフだよ」と経緯を教えてくれた。父と母の結婚は高齢で、母親の卵子の機能が低下していた。子どもを諦められなかった両親は、アメリカで卵子提供を受ける「体外受精」を選択。2回の失敗を経て、体力的にも金銭的にも最後のチャンスに。若い女性の卵子と父の精子でできた受精卵を母のお腹に宿してもらい、無事に出産に至ったという。

■お母さんの代わりはいない

「聞いた時は、その場で号泣しましたね。私は母と血が繋がっていないんだ…と思うとショックで」とerincoさん。その日、母に「血が繋がってないの?」と聞くと、「そんなことないよ」と言い、いつも明るい母が初めて拗ね、悲しそうな表情をしたという。

母の気持ちを察した女性は「愛情をかけて育ててくれたことに変わりはなくて、私にとって、お母さんの代わりはいないし、血縁のお母さん以上にお母さんだし。すぐに受け入れられましたね」と話す。

父は3年前に介護生活の末、亡くなった。そして母は今年1月、脳梗塞で亡くなった。両親との別れは早かったが、愛情をたっぷり注いでくれた親心を想像すると、感謝が募った。「お母さんは『えりのために長生きしないとね』が口癖で、79歳でピアノを始めて81歳で初めて発表会に出るくらい、パワフルな人でした。結局、出生については聞けなかったですが、亡くなった後に親戚から『妊娠期間の10カ月は黙っていた』と聞いて、すごい覚悟で産んでくれたんだなと改めて思いました」

■「産んでよかった」と思ってもらえる人生に

SNSに自身の出生について綴ったのは、今年3月。ちょうど、母が生きていれば83歳の誕生日だった。50代で出産した母への感謝を綴ると、ある人物から「体外受精ですか?」と連絡が来た。

その人は、43歳の女性。夫婦ともに卵子と精子の機能が落ち、卵子と精子の両方の提供を受ける「ダブルドネーション」で子どもを授かったという。「初めて、同じ境遇の方と出会えたことに、不思議な喜びを感じました。子どもが見た目で嫌な思いをしないかなど、将来に不安もあったようですが、実際にお会いして、私の体験を聞いて前向きになれたみたいでした。私の体験が役に立つんだと思い、いろんな選択、いろんな命のあり方があることを知ってもらえればと思って発信を始めました」と話す。

今、erincoさんは昔は嫌だったカーリーなヘアを生かしたモデル活動をするほか、ウルトラマラソンに参加するなど、人生を謳歌している。「両親が諦めなかったから私がいるし、生きられていることが本当に奇跡だと思うんです。両親に『産んでよかった』と思ってもらえるような充実した人生にしたいです」

(まいどなニュース・山脇 未菜美)