2025年8月19日から21日にかけて、日露戦争で撃沈され玄界灘に沈没した「常陸丸」の調査が行われた。
日露戦争中の1904年、ロシアのウラジオストク艦隊の攻撃により撃沈された日本の大型貨客船であり、撃沈により1000人以上の死者を出した常陸丸。犠牲者には自決などの自死も含まれるとされる。
正確な沈没地点は長年不明だったが、2023 年に BS-TBS の調査により水深 80 メートルの海底で発見。深海での調査は難しく危険だが、遺族からの遺骨、遺品回収の要望もあり、水中探検家でありテクニカルダイビングインストラクターである伊左治佳孝さん、清水淳さん、寺澤淳二さんの主導で、潜水調査が実現した。事前の取材では船内調査も検討しているということだったが調査はどうだったのか?伊左治さんに聞いた。
--船内に入ることはできましたか?
伊左治:できました。船内に入ったのは現時点で私のみ。船の後部は半壊していましたが、中央から、特に前部は残されている部分が多かったです。ボイラー設備なども確認できました。船内には食器やビン類など、乗組員がこの船で過ごしていた空気感を感じられる遺物が多くありました
--遺骨、遺品が残っている可能性は?
伊左治:調査の2日目には、大型の水中スクーターを用いて、常陸丸の全体像をつかむことを試みました。その取り組みは順調に実施でき、船の前部に2階建ての構造物とその船窓が残されていることが確認できました。配置から将校がいた場所だとしてもおかしくないと思われます。
非戦闘員は脱出を試みたはずですが、将校などは自決したとされており、そこに遺骨や遺品などがある可能性は多いにあります。
--調査にあたりご苦労は?
伊左治:外洋で、かつ水深80mという大深度であるため、潮流が急に変わったり、水深により潮流の向きや強さが一定ではない点です。今回は船内部にも潜入もしましたが、船体に絡んだ網や、長年で堆積した土や泥、そしてぶつかると壊れる可能性の高い、脆くなった船体などに注意が必要でした。
--今、調査をする意義とは?
伊左治:本年は日露戦争から120年、第二次世界大戦(太平洋戦争)終戦から80年という節目の年。到達が非常に難しい水中ですが、今こそ風化していく歴史の証人を記録し検証することは非常に意義があると考えています。
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伊左治佳孝さんは山口県宇部市にて、1942年に水没し183名の犠牲者が出た長正炭鉱の調査も行っている。双方、危険な調査だが、安全に達成されることを願う。
(まいどなニュース特約・米田 ゆきほ)