南太平洋地域は、近年、地政学的緊張の最前線となっている。中国の「一帯一路」構想のもとで巨額の投資が流入し、インフラ整備や経済援助が各国を魅了する一方で、これを「経済的侵略」と警戒する声が高まっている。2008年から2022年にかけ、中国は太平洋島嶼国々に莫大な開発資金を投じ、外交関係の転換を促した事例も相次いでいる。
キリバス、ソロモン諸島、ナウルは2019年から2024年にかけ、台湾との断交を選択し、中国側に傾いた。これに対し、米国やオーストラリアは同盟強化を急ぎ、軍事・経済援助を拡大。2025年の太平洋諸島フォーラム(PIF)では、中国の影響力と気候変動、安全保障が主要議題となり、台湾寄りのパラオが来年ホスト国となる中、緊張が頂点に達している。
■ パラオが中国の標的に
この地域で特に注目されるのが、パラオ共和国のケースだ。人口約1万8000人の小国で、台湾の数少ない外交同盟国として中国の標的となっている。
2025年9月15日、米国インド太平洋コマンド(INDOPACOM)の国際軍事法・作戦会議で、パラオのスランゲル・ウィップス大統領は衝撃的な発言を繰り広げた。「我々はすでに戦争状態にある。中国は指導力を弱体化させ、重要サービスを混乱させ、政府への信頼を損なうために意図的に動いている」と断言。経済的強制、サイバー攻撃、麻薬密輸を具体例に挙げ、米国や同盟国とのパートナーシップを強く求めた。この声明は、PIF直前のタイミングで出され、地域全体の警戒を呼び起こした。
パラオへの中国の経済的圧力は、観光業依存の脆弱性を狙ったものだ。パラオのGDPの約40%を占める観光収入は、中国人訪問者の減少で打撃を受けている。ウィップス大統領によると、2010年代初頭には年間10万人を超えていた中国人観光客が、台湾との外交関係を理由に激減。ある中国大使は「台湾を断交すれば、100万人の観光客を送る」と脅迫めいた提案をしたが、パラオは拒否した結果、経済的孤立を強いられた。
■中国産フェンタニルなどの違法薬物が漂着
さらに、中国系投資家による土地買収が深刻化。米軍施設近くの土地を99年リースで取得し、開発を放置したまま空き地化させる事例が相次いでいる。これにより、地元住民の不信が高まり、社会的分断を助長。中国は公式に否定するが、こうした「グレーゾーン」作戦は、経済的影響力を外交転換のレバレッジに変える典型的手法だ。
サイバー攻撃もエスカレートしている。2024年3月、中国関連ハッカーがパラオ政府のシステムを侵害し、機密データを盗み出したとされる事件が発生。政府ウェブサイトのダウンタイムやデータ漏洩が続き、行政機能が麻痺寸前となった。ウィップス大統領はこれを「中国のハイブリッド脅威」の一環と位置づけ、麻薬密輸の増加も指摘。パラオの海岸に中国産フェンタニルなどの違法薬物が漂着し、若者の依存症を煽っているという。これらは単なる犯罪ではなく、国家主導の弱体化戦略だと大統領は主張。実際、太平洋地域での中国の犯罪シンジケート活動は、経済的浸透の影で活発化しており、パラオは「すでに戦争」と感じざるを得ない状況にある。
■パラオの現状は南太平洋の縮図
これに対し、米国は迅速な対応を示している。2025年7月、ワシントン・ポストの報道によると、米軍は2026年にパラオの主要港湾(コロール港)をアップグレード。潜水艦ドックや補給施設を整備し、観光船中心の港を軍事拠点化する計画だ。これは、米パラオ間の緊密化協定(COFA)の延長に基づくもので、米軍のローテーション配備を拡大。インド太平洋地域の戦略的要衝として、パラオの位置づけを強化する狙いがある。一方、オーストラリアはパプアニューギニア(PNG)と防衛協定を締結し、地域同盟を構築したが、バヌアツは中国寄りの姿勢を崩さず、複雑な力学が浮き彫りとなった。ウィップス大統領の呼びかけに応じ、INDOPACOMのサム・パパロ提督は「抑止力は同盟で指数関数的に増大する。2カ国で4倍、3カ国で9倍」と強調。平和は「存在感による抑止」だと訴えた。
パラオの事例は、南太平洋の縮図だ。中国の経済援助はインフラ格差を埋める恩恵をもたらすが、債務の罠や外交的依存を招くリスクが高い。Lowy Instituteの分析では、中国の投資は軍事拠点化の布石とも見なされ、米中対立の代理戦争化を懸念させる。パラオは台湾との絆を守るため抵抗を続けるが、経済的打撃は深刻。国際社会は、単なる援助ではなく、持続可能なパートナーシップを構築する必要がある。2026年のPIFパラオ開催を前に、地域の安定は米中間の「競争的平和」に懸かっている。パラオの声は、無視できない警鐘だ。
◆和田大樹(わだ・だいじゅ)外交・安全保障研究者 株式会社 Strategic Intelligence 代表取締役 CEO、一般社団法人日本カウンターインテリジェンス協会理事、清和大学講師などを兼務。研究分野としては、国際政治学、安全保障論、国際テロリズム論、経済安全保障など。大学研究者である一方、実務家として海外に進出する企業向けに地政学・経済安全保障リスクのコンサルティング業務(情報提供、助言、セミナーなど)を行っている。