大阪府八尾市にある八尾空港の西側に、空港から1本の通路で繋がった約9.2ヘクタールの空き地がある。ここは「八尾空港西側跡地」と呼ばれる国有地で、1984年まで駐機場があった場所だ。41年もの間、活用方法が決まらないまま残されている。埋蔵文化財や地下埋設物、航空法による高さ制限などの制約は少なくないが、この地域の将来を左右する重要なエリアとして、利活用に向けて検討が重ねられている。また、旧陸軍の飛行場だった時代につくられた格納庫の痕跡もあり、戦争遺構としても貴重な場所だ。
■戦時中は旧陸軍の飛行場で現在は官民両用の空港
八尾空港は1933年に阪神飛行場として設置され、阪神飛行学校が置かれた。1939年に陸軍の飛行場となり「大正飛行場」と改称。その後、1942年までの間に周辺の農地を買収して拡張されている。滑走路の長さは、最盛期には1600mと1400mの2本だったが、現在は1490mと1200mの2本である。
定期便は就航しておらず、陸上自衛隊・消防・警察の各航空隊、民間の航空会社が利用する官民両用の空港として運用されている。
そんな八尾空港の西側に「八尾空港西側跡地」(以下、跡地)と呼ばれる約9.2ヘクタール、甲子園球場のグラウンド部分にして約7面分の空き地がある。尚、西端の約2.1ヘクタール部分は、大阪市平野区にかかっている。
ここには民間機の駐機場が設けられていたが、1984年以降は未利用地のまま現在に至る。旧軍時代につくられたという格納庫跡のコンクリート構造物が今も風雨に晒されながら残っているが、往時の面影を偲ぶことは難しい。しかし、戦後間もない1948年に米軍が撮影した航空写真には、このコンクリート構造物の位置に、格納庫らしき建物が写り込んでいる。
現在の跡地は八尾空港事務所が管理しており、年に一度の草刈りによる維持管理のみ行われているそうだ。
■利活用をめぐる協議は続けられているもののベストな着地点は未だ見出せず
跡地は、決して放置されているわけではない。国、大阪市、八尾市などが、利活用を目指して動いているものの、さまざまな制約が立ちはだかっているのが現状だ。全域が埋蔵文化財包蔵地で、過去の試掘調査で遺構や遺物の存在が確認された。また、地下にはコンクリート片などの埋設物も確認されており、開発には相応の時間と費用が見込まれる。さらに、八尾空港に隣接しているため、航空法に基づく高さ制限や航空障害灯の設置義務が課される可能性も高い。
このような状況を踏まえ、大阪航空局、近畿財務局、大阪市、八尾市は2010年に「八尾空港西側跡地検討会議」を設置して、跡地の利活用をいかにすべきか方向性を検討してきた。最新の公表資料は2022年のものだが、この中でもまだ具体的な活用策は示されていない。大阪市計画調整局、大阪航空局、八尾市役所のいずれに尋ねても「現時点で公表できる情報はありません」との回答だった。八尾空港事務所の担当官は「どういう形がベストなのか、みんなで知恵を出し合っているようです」と語り、協議は続行されているとのこと。
大阪市と八尾市にまたがる土地なので、もしや「境界線が何らかの障壁になっているのでは?」と勘繰ってみたが、大阪市計画調整局へ取材した際にきっぱりと否定された。むしろ多様な主体が関わることで、幅広い発想が生まれる可能性があるとのことだった。
跡地は空港に隣接する希少な都市空間であり、商業、産業、文化の拠点などさまざまな活用が考えられる。だからこそ未来像は無限に広がっているともいえ、制約を乗り越えて新しい価値を創造する取り組みが、地域の財産となっていくのではないだろうか。
(まいどなニュース特約・平藤 清刀)