(C)2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会
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数々の名優たちと火花を散らし、骨太な人間ドラマを撮り続けてきた阪本順治監督。その鋭い眼差しは、俳優のどこを見つめているのか。「映画全体を見通せる視点」と「他者への想像力」こそが、俳優にとって最も重要な資質だと監督は語る。名匠が長年のキャリアで培ってきた、俳優との理想的な関係性、そしてその揺るぎない哲学に迫る。

■ 「男の願望で女を描かないで」という戒め

 阪本監督の最新作『てっぺんの向こうにあなたがいる』(10月31日公開)は、女性として世界で初めてエベレスト登頂を果たした登山家・田部井淳子の、不屈の精神と、山とともにあった壮絶な人生を、吉永小百合主演で映画化した、自然の脅威と人間の尊厳を、圧倒的なスケールで描き出す感動の実話だ。

 阪本監督の作品には、どこか硬質で、汗と硝煙の匂いが立ち込めるような男性的なイメージがつきまとう。しかし、その演出術の根幹にあるのは、驚くほど繊細で、普遍的な人間への眼差しだ。特に、女優を主演に迎える時、その哲学はより一層クリアになるという。

 かつて『魂萌え!』(2007年)を撮影した際、原作者の桐野夏生氏から鋭く投げかけられた言葉が、今も監督の心に深く刻み込まれているという。その一言が、作り手として陥りがちな傲慢さから自らを救った。

 「桐野夏生さんから『男の願望で女を描かないで』と釘を刺されたことがあるんです。それが今も心に残っていますね。『女だったら』という発想自体がそもそも違う。一人の人間として主人公を迎える、という感覚です。むしろ、自分とは懸け離れたキャラクターが多い男性が主人公の作品よりも、女優さんを主演に迎えた方が、『人としてどう考えるか』という普遍的なアプローチがしやすくなることに気づきました」

 性別というフィルターを外し、一人の剥き出しの人間として俳優と向き合う。それが阪本監督の現場の絶対的なルールだ。だからこそ監督が求めるのは、小手先のテクニックではなく、役柄の魂を深く理解し、映画全体の文脈の中で自らの役割を果たせる俳優に他ならない。

■監督が求めるのは「映画全体を見通せる」俳優

では、監督が心から信頼し、共に仕事をしたいと願う俳優とは、具体的にどのような人物なのだろうか。その答えは極めてシンプルであり、同時に、俳優という仕事の本質を突くものだった。

 「与えられた役柄だけでなく、映画全体を見通そうとしてくれる俳優さんですね。そういう方々に何度も助けられてきました。自分の役だけを際立たせようとしたり、前に出ようとしたり、勘違いした自分らしさを出そうとする人は苦手です」

 その理想的な関係性を体現しているのが、阪本監督作品では欠かすことができない石橋蓮司や、長年の盟友でもある佐藤浩市のような俳優だ。彼らの現場では、監督と俳優という垣根を超えた、創造的なセッションが繰り広げられる。それは、互いの領分を尊重し、作品をより高めるためならどんな変化球でも受け止めるという、固い信頼関係に基づいている。

 「本当に素晴らしい俳優さんは、『ここは、自分は消えていた方がいいな』と考えてくれる。佐藤浩市くんのように、アドリブを入れる際にも『こういうニュアンスでやってみるから、判断してくれ』と、必ずこちらに判断を委ねてくれます。そうすれば、現場で生まれるものを一緒に楽しんでいけるんです」

 俳優とは、他者を理解することで豊かになる仕事だと監督は語る。スクリーンの中で他人の人生を生きることを通して、自分自身の人間性をも深めていく。しかし、それは誰もができることではない。

 「俳優という職業は、常に他者を理解しようとしなければ成り立たない、素晴らしい仕事です。その中で、他者を考えることで豊かになっていく人もいれば、自分の生き方を狭めてしまう人もいる。やはり、自分が関わった映画全体のことを考えられる俳優さんと仕事をしたいですね」

 カメラのこちら側とあちら側で、同じ船に乗り、同じ目的地を見据える。阪本監督が求めるのは、単なる駒やスターではない。作品という名の航海を共に乗り越える、信頼できる「共犯者」なのだ。

(まいどなニュース特約・磯部 正和)