■長田・御菅地区から
「下町での商売は気さくで好きだが、もともと店は多すぎた。買いやすさではスーパーに勝てない」
菅原商店街で精肉店を営む植田展夫さん(30)は、割り切った言い方をした。
七月、現地で仮設のプレハブ店舗を再建すると同時に、神戸市北区に新しい店を出した。
焼失した店は昨秋、新装オープンし、数千万円の借金が残っている。「以前の一・五倍の商売をしないと返済ができない。一軒の店では五年、十年先に不安があった。いずれは北区や西区の住宅地に進出せなあかんと思っていた」
負債を抱えた中での思い切った決断だった。
震災前、菅原商店街はアーケードの両側に、三十四店が営業していた。仮設店舗で再開にこぎつけたのは十四店。約十五店は既に廃業を決めた。
隣の菅原市場も共同仮設を建てたが、元の三十七店のうち二十二店しか入居していない。
市場近くの米穀店主(66)は「人通りは十分の一になった」とため息をついた。客の数は六割、四割など店でずいぶん差があったが、「五分の一に減った」と嘆く店主もいた。仮設店舗で再開したものの、周辺の住民は激減し、苦しい店は少なくない。
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住民らに、下町での買い物について聞いた。
神戸市長田区御蔵通三丁目に長年住み、兵庫県三木市の娘さん宅に身を寄せる淡田栄恵さん(70)は「市場では『きょうはこれが安いで』と声をかけてくれる。つい店先で話し込んでしまう。スーパーで買うても、おいしない」と、懐かしんだ。
神戸市須磨区の仮設住宅で暮らす女性(57)は話した。
「買うのは、市場からスーパーに変わっていた。顔なじみの店主に声を掛けられたら、大量に買ってしまう。スーパーは話しかけて来ないから気楽だった」
対面販売の気やすさとわずらわしさ。菅原商店街会長の山本勤さん(63)は「若い客は品物を選びにくいことなどを嫌う。集客力は以前から落ちていた」と認めたうえで、今後の構想の一端を語り始めた。
「区画整理で、ばらばらの店を、ビルの一カ所などに集めることができる。意見調整はこれからだが、駐車場の整備や中型スーパーを誘致して集客を図るなど、新しい道も考えられる。早ければ五年で開店させたい。夢ではない」
下町の商店は、どこでも高齢化が進んでいる。菅原商店街も例外ではない。跡継ぎのいる店は五件もない。が、なんとか話をまとめ、来年初めに開く総会に諮りたい、と山本さんは考えていた。
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この二十五日、周辺で映画「男はつらいよ」のロケが行われた。
寅さんが、神戸で震災に遭い、正月に再び被災地を訪れるという設定だ。メガホンを握る山田洋次監督は「地元の人と話をして、長田が人情の町だとよく分かった」と話した。寅さんのイメージは、御菅に似合った。
商店再生のため、人情、そしてイキの良さにプラスする要素は・。植田さんは「スーパーは見ておいしい、専門店は食べておいしい。あの店のものはいいと、いわれるようにしなければ」と力を込めた。商店主はみんな、現状を変えなければ、と思っていた。
1995/10/29