■長田・御菅地区から
更地が広がる一帯は街灯も民家の明かりも少ない。道はより遠く感じられた。
神戸市長田区御蔵通一丁目に住む松本静子さん(45)は、母親(77)や娘(10)と一緒に、国道を渡り、JR神戸線の高架を南へくぐった。東尻池町の銭湯まで十数分。「これから寒くなるし、足腰の弱い母を連れて行くのは大変です」と話した。
三丁目にあった「錦湯」は二、三分の距離だった。サウナもない昔ながらのおふろ屋さんだが、毎日通うのを楽しみにしていた。
約千五百世帯の御菅地区では数年前に一軒が廃業し、たった一軒。開店十五分前から洗面器を持ったお年寄りが並んだ。自宅にふろがあるのに通う人もいた。
「脱衣場の電動マッサージのいすに腰掛け、ジュースを飲みながら、長々と話した」。医者の話、どこで買えば得という店の話、嫁しゅうとの問題…。疲れをいやす下町の社交場だった。
長屋が並ぶ一角に戦前からそびえていたれんがの煙突は粉々に砕け、今はタイルの床が一部だけ残る。
◆
神戸市浴場組合連合会によると、市内の銭湯百八十四軒のうち、全壊・全焼三十五軒、半壊五十一軒。現在、営業中はやっと半分を超えた九十六軒だ。
昭和四十年代前半のピーク時、約四百軒あった銭湯は、震災前、すでに半分以下に減少。震災で転廃業の流れに拍車がかかった。
「休業中のところの再開はかなり難しい」。兵庫県庁西にある兵庫県公衆浴場業環境衛生同業組合の事務所。歴代役員の写真を飾った部屋で、丸岡文男理事長(67)は困難な理由を次々に並べた。
再建資金の不足、客の減少、経営者の高齢化と後継者不足…。
昔ながらの浴槽だけの銭湯でも新築に最低一億円、サウナや電気ぶろ、駐車場などを完備すると三億円必要という。銭湯の経営を支えた下町の長屋や木造アパートは倒壊し、住民は郊外の仮設などに移った。
「被災した家が再建されても、ふろを取り付けるだろう。客はますます減る」と、言葉を継いだ。「今、銭湯一軒の売り上げはタクシー一台と同じだ」
神戸市浴場組合連合会は九月中旬、高齢者の無料入浴券発行を市に要望した。尼崎、西宮、明石、姫路市には月数回の入浴券発行などの制度がある。入浴料を市が負担し、浴場経営の支援策にもなる。が、市の財政も厳しい。民生局は回答しないままだ。
兵庫県公衆浴場業環境衛生同業組合は、年内にも二百八十円の入浴料金値上げを県に要望するという。
◆
御菅地区にあった錦湯の所有者、福田ヒサ子さん(75)は神戸市須磨区の弟宅で暮らしていた。「もうふろ屋はしません」と話した。
昨年九月に夫を亡くした。跡継ぎはなく、廃業のつもりだったが、姫路市の業者が貸してほしいと申し出たため、営業を任せていた。その矢先に震災が起こった。今、市に土地売却の相談をしているという。
銭湯再生は難しいのだろうか。学者らの「ひょうご創生研究会」は、そのコミュニティーでの役割も踏まえて、こんな提言を出している。
「個別住宅ですべての居住条件を整えるのではなく地域社会全体で住環境を良くする仕組みができないか。小さな浴室、庭を住宅につくるより、共同浴場、共同庭園が考えられないか」
1995/10/28