■長田・御菅地区から
淡路島の兵庫県津名郡東浦町にある親類宅に身を寄せる五熊宏さん(42)は、不安と焦りを募らせていた。
「まちづくり協議会のアンケートが届き、『住民の意見を聞いている段階か』と理解した。地元の区画整理の動きがどう進んでいるのか、ぼんやりとしか分からない」
御菅地区に足を運ぶと、長田区役所に立ち寄り、あるだけの資料をもらってくる。経営していた喫茶店は全焼した。当面再開は無理、と思っているが、状況が気がかりだ。
兵庫県高砂市のアパートで、暮らす小林十四子さん(69)は、神戸市の広報紙郵送サービスを利用していた。
市外に移転した被災者がはがきで申し込めば、全市版、各区版、震災対策版などを送ってくれる。利用は、約一万二千件にのぼる。
「でも、御菅の話題はなかなか伝わってこない」と、小林さん。役立ちはするが、そこには肉声がない。
月に一度、約一時間をかけ四十五年住んだ街を訪れる。区役所で仮診療所を開く西市民病院に通う。自宅跡に立ち寄り、亡くなった夫に花を供える。行きつけの喫茶店の扉を開ける。
「この前、あの人が来とったよ。元気そうやったわ」。長女と同級生のマスターが話し始めると、慣れない土地で、知らず知らずのうちに張りつめている心がほぐれるという。
◆
口コミに掲示板、それにボランティアが発行した情報紙が、住民をつなぐ役割を果たしてきた。
長田で生まれ育った大阪外大助教授(都市民俗学)の森栗茂一さん(41)は、がれき処理を手伝う中で、情報を伝える必要性を痛感、四月から「みすが通信」の発行を始めた。
震災情報、まちづくりの現状などを掲載し、毎回、約三百枚を配った。仮設住宅など遠くに移った人々が集まり、雑談の中でまちづくりを考える「みすがに帰ろう会」も地域の人と主催している。
六月に発足した御蔵・菅原通三、四丁目の復興対策協議会は、かっちりした連絡網はなかった。これまで開いた全体集会やブロック別説明会の開催を伝えたのは、口コミや商店などに張ったビラだった。
◆
十月十七日夜、同協議会は、近く創刊するまちづくりニュースのタイトルを決める広報部会を開いた。
「いつまでも、ボランティアに頼っていては、意欲も盛り上がらない。地元が自ら取り組む姿勢が必要ではないか」。森栗さんは、九月まで九号続けた「みすが通信」発行を打ち切り、協議会が引き継いだ。
迷った末、タイトルは「すいせん(水仙)」と決まった。水仙は二月に咲く。厳しい現実を越え、すばらしい花を咲かせたいという思いを込めた。一足先に創刊した御蔵通五、六丁目の協議会ニュースは「ひこばえ」。切り株などから出る芽を意味し、焼け跡から立ち上がる住民の姿を重ね合わせている。
神戸市は、ようやく地元に現地相談所をつくることを決め、年内開設を目指している。これまで住民は、自転車で十五分ほどかかるJR新長田駅前の相談所まで足を運んでいた。歩ける距離ではない。「なぜ地元にないのか」と、協議会は再三、要望してきた。
平日の役所の時間帯しか開かない相談窓口の土・日開設、時間延長はなお求め続けている。行政の対応は後手、と映る。
1995/10/25