神戸市東灘区の魚崎市場跡地。にぎやかな魚の絵をあしらったコンテナハウスは、夜遅くまで明かりがともっていた。
震災直後に専門家が結成した関西建築家ボランティアの現地事務所。メンバーの野崎隆一さん(52)は「魚崎地区でもようやく住民協議会の組織づくりを考える推進委員会ができた」と仲間に報告した。
同ボランティアは、コンサルタントや建築士ら六十四人。区画整理・再開発地域外の、いわゆる「白地地域」で、共同再建などの支援を続けてきた。
しかし、一つの再建にも膨大な時間がかかる。ある市場では、すでに四つの再建案を提案した。個人負担も試算した。月に一回の住民総会。役員会は倍以上の回数を数える。その都度、出席するが、まだ成案にはならない。
野崎さんは昨春、商社を辞め、建築事務所を開いた。事務所は、同じ建築士の奥さんに任せ、仕事の大半は街づくりに費やす。「話がまとまれば、商売をさせてもらいます」と笑うが、報酬は神戸市の「専門家派遣制度」から出る分だけである。
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同市の制度は、制度面の勉強会などの一次派遣が一件九万円、具体的な話し合いを始める二次派遣で五十万円。事業が具体化すると、規模に応じて最大五百万円までが支払われる。
神戸市以外の被災地でも、震災後、阪神・淡路大震災復興基金をもとに、神戸と同様の制度がある。
震災後は、神戸市で九十七件が助成を受け、約三十件に着工の道筋がついた。同市外では、延べ二十四件が助成を受けている。
「一年近くやっている取り組みで、一件は事業化できたが、たいてい二次派遣まで。その先にはなかなか進まない。支援が乏しいだけに、意欲があっても、のめり込む人が限られてしまう」と関西建築家ボランティア。
芦屋を中心に活動する「AAネットワーク」の大島哲蔵さん(48)は二月、大阪の自らの事務所を、テナント料が半分以下のところに引っ越した。「領収書のない出費は、震災後、三百万ほどになった。私以上に、私財を投入している人もいる」と明かす。
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昨秋、白地地域の支援策としてコンサルや学識経験者らが「阪神・淡路ルネッサンス基金」を設立した。全国から寄付を募り、十一団体に計六百万円を配分した。
五年間に二十億円の基金が目標だが、今は寄付金を自転車操業的に配分するだけで、基金にほど遠い。事務局は「復興に取り組んでいるコンサルには支援が必要。基金の実績をつくって、理解を得たい」と話す。
行政と住民の橋渡しの役割も務めるコンサルや建築家の立場は微妙だ。
「コンサルがゼネコンを引っ張ってきて、勝手に事業を進める」。一部地区では、住民からこんな声が聞こえてくる。再開発に携わる建築士は「自分たちの街をどうするのかと、住民は震災で初めて突きつけられた。取り組みの経験に乏しい。今の街づくりは、コンサルの主導権なしには進まない」と言い切る。
関西建築家ボランティアは今後、細かい単位での地元組織の結成を進め、そこに担当を張りつける方針だ。早く家を建てたい・。住民と同じ方向を目指す船に乗っていると考える彼らは、この十六日も現地調査に入った。
1996/3/31