■新築発注は震災前の水準へ
「サクラの咲くころが次のピークですね。子どもの新学期は新居で迎えたい、そう思っているお客さんも多いですから」
積水ハウス芦屋店長の米津寛司さん(37)は三月に入って、朝の通勤途中、昼、そして仕事が終わった夜と日に三度、完成間近の新築現場を回るのが日課になった。
顧客との話し合いも密になる。完成検査、権利書登記の同行など詰めが続き、やっとカギ渡しになる。携帯電話は鳴りっ放しだ。
受注競争から建設競争へ-。住宅業界で今、被災地の住宅再建はそう呼ばれる。「ここ一年、仕事の量は震災前の四倍、五倍で進んできた。現在は一・五倍か二倍程度。注文のピークは過ぎた」と米津さん。受注件数は次第に落ち着き、震災前の水準に戻りつつある、という。
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約二十万棟が全半壊した阪神大震災。住宅メーカーによると、復興は東から始まった。
震災まもない昨年二、三月。多くの被災者が、西宮北口の住宅展示場に押し寄せた。「うちだけで、一カ月に七百組」と、ある大手の担当者。展示場は、周辺が大きな打撃を受けた中で被害を免れ、「広告塔」にもなった。
夏から秋。再建ラッシュは芦屋から神戸市東灘区に移る。東灘区の国道2号線沿いに住宅メーカー八社が、急きょ、住宅展示場を開いたのは昨年十一月中旬のことだ。
米津さんの積水ハウス芦屋店も、震災前の七人が夏には五十人、引き渡しの最初のピークを迎えた正月前は、営業から設計、工事管理まで百人を超えた。
「被災地で商売するつもりはない。応援組の宿舎を二十一カ所に建てるなど支援コストだけで約四十億円。次期決算は増収減益が確実」と同社総務部の山口英大課長。全国規模の応援は続き、社員、系列会社、協力工事店など計五千人が、被災地で動いているという。
ピークを超した受注の状況は、何を意味するのだろうか。
山口課長は言う。「建て替える土地があり、資金調達のめどがついた人の注文は、ほぼ出たのではないか。そうでない人たちが圧倒的に多いはずだ」
兵庫県によると、新規の住宅着工と建築確認件数から、再建に着手した被災者は、三万九千戸と推計される。建て替えが必要な被災者のざっと三割になる。
仮設住宅の調査では、六割を超す世帯が「公的賃貸住宅」を希望。震災から一年で仮設から転出したのは一割の約五千世帯にすぎない。数字は、住み慣れた土地の、安い住宅をじっと待っている状況を見せつける。
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二月末、神戸市中央区の兵庫県民会館で「知事と神戸市民が語る集い」が開かれた。長田区の老人クラブ連合会の代表が立った。
「私は今、神戸市西区の仮設住宅にいます。付近の立派な家を見ていると、本当にみじめになります」と声を震わせた。「全焼した家の土地はわずかで、今の規制では八坪の家しか建ちません。身も心も一年でボロボロになりました」
各地の老人クラブ代表を招いた「集い」は住宅問題に終始した。
「仮設住宅に加え、県外避難者も考えると、六、七万世帯の家をつくらなければならない」。貝原知事はそう切り出して続けた。
「人口十二万から十五万の都市を二、三年でつくる。神業に近いプロジェクトだが、やらねばならない」
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被災地は震災から二度目の春を迎えた。仮設住宅には、今も四万五千世帯が暮らす。自立再建の動きが進む一方、被災者間の格差は広がる。この先、いつ恒久住宅に移れるだろうか。どこに住むことができるのだろうか。被災者の願いをかなえるには何が必要か。「復興へ」9部は、「仮設後」の条件を探りたい。
1996/3/11