連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

(7)雲仙では基金が増額された 同様の救済なぜできぬ
  • 印刷

 雲仙・普賢岳噴火から昨年十一月で五年を迎えた長崎県島原市。中心部のアーケード街は、まばらに高校生や主婦が歩くだけで、ひっそりとしていた。シャッターを閉めたままの店も目立つ。

 「噴火から人通りが減った。前はこんなにさびしくはなかったとですよ」と、住民は話した。

 四万五千人だった市の人口は三千六百人も減り、島原鉄道は断絶したまま。買い物客の流れは途絶え、観光客も戻らない。年間四百校以上あった修学旅行団体は九四年、三十四校しかなかった。

 火砕流などによる死者四十三人。家屋被害約二千二百棟。島原に隣接する深江町の県営住宅に住む大野木場復興委員会委員長・横田繁春さん(67)は「集団移転は進んでいますが」と続けた。

 「タバコに適した農地はもう使えん。農業を再開したいという人は二割ほど。設備に何千万円もかかり、よほど上手にせんと回収できんとです」

    ◆

 生活再建に今も苦しむ被災者を支えているのは、雲仙岳災害対策基金である。運用益などが住民の自立支援、農林水産業、観光対策などにあてられる。

 実は、基金は当初、五年で切れる予定だった。それが、昨年末、期間延長と増額が決まった。

 長崎県雲仙岳災害復興室の一瀬修治室長は「九〇年の噴火後、九三年の土石流などで被害が拡大、長期化した。運用金利の低下もあり基金は赤字になった。そこへ阪神大震災が起き、雲仙が忘れられるのでは、と思った」と打ち明ける。

 国が関与する基金は二百八十億円でスタートし、その後五百四十億円に増えた。一千億円への再度の増額へ、中央への陳情が繰り返された。

 「どうしても阪神と比較されたが、島原、深江は過疎地域。災害が長引き、本格的復興はこれからと訴え続けた」と同室長。

 自治省からファクスで、と言われた資料も、東京まで室員が持参、週二回上京したこともある。同省が初めて増額の可能性に触れたのは昨年十月。現地視察した深谷隆司自治相(当時)は同十二月二十七日、一千億円への増額を正式に表明した。陳情は四十回を超えたという。

    ◆

 阪神大震災と雲仙で、比較される住宅再建への支給額の違いはどうなのか。

 義援金をもとにした運用・配分額は、被災者の数で大きな差がある。加えて、国が関与する基金による支援も違っている。雲仙は基金から「地域の復興」名目で、百五十万円が住宅再建に出るのに対し、阪神大震災にはない。

 長崎大商科短大部の宮入興一教授(財政学)は、この「百五十万円」の意味を指摘する。

 「国は、公費で個人補償はしないというが、基金による支援は事実上、補償に踏み出している。阪神の義援金が足りないのなら、行政基金を膨らませればよい」。同教授の試算では、十兆円規模の基金をつくることができれば、全壊世帯に五、六百万円は支給できるはず、という。

 自治省は「雲仙は長年にわたる災害で、被害も拡大していった。阪神大震災とは違う」と二つの災害の性格の違いを強調したが、なぜ、雲仙と同様の救済措置が震災で取れないのか。説明は明快さを欠いたままだった。

1996/3/18
 

天気(9月8日)

  • 33℃
  • ---℃
  • 40%

  • 33℃
  • ---℃
  • 50%

  • 34℃
  • ---℃
  • 20%

  • 34℃
  • ---℃
  • 40%

お知らせ