娘さんと二人暮らしの主婦田中恵子さん(61)=仮名=は、まだ迷っていた。十五日に引っ越しの準備を進めている。が、移る先はそこしかないのか、なかなか吹っ切れない。
芦屋浜シーサイドタウンの芦屋市立潮見中学校グラウンドに建つ二百戸の仮設住宅。「南側半分の六棟は、三月末までに移ってもらいます」と通告に近い形で、自治会役員が芦屋市から聞かされたのは一月中旬だ。
芦屋市から説明会日程の打診はあったが、内容は告げられないまま。自治会長の赤松啓一さん(69)も、寝耳に水だった。
六棟には八十五世帯が住む。市は「行政の都合で移転する以上、移転先の希望は最大限聞きたい」とし、移転補償費を単身五万円、二・四人世帯六万円、五人以上七万円を出すこともつけ加えた。
田中さんは、移転対象になっていることを回覧板で知った。自治会役員に確かめに行ったが、十分な返事はない。直接、市に問い合わせると、「移転は公務の職権でしている。三月末にはガスボンベ、電気、水道管を撤去する」との答えが返ってきた。
◆
芦屋市によると、市内二千九百十四戸の仮設のうち、七カ所四百八十二戸が学校敷地にある。潮見中学はグラウンド一面に広がる。同中学は昨秋の体育祭ができなかった。他の学校グラウンドを借りることにしていたが、当日は雨で、以後、日程調整がつかなかった。
芦屋市内の仮設は、すでに三百五十戸の空き家が出ており、「潮見中学の仮設解消がまず必要」と市は考えたという。
「一人ひとりは移転に反対。でも自分が最後に残るのがいやで、『仕方ない』と応じた。われ先にと引っ越す雰囲気になった」と、住民ら。同仮設住宅は約七割が高齢者で、結局、まとまった反対運動は起きなかった。
赤松さんは準備した移転反対署名の原稿をフロッピーから消しながらも「恒久住宅が用意されない限り、もう移らない」と考えている。
◆
四万八千戸全体の移転集約について、兵庫県は「二年」の期限の問題と同様、三月末にまとめる実態調査の結果を待たないと方針は打ち出せない、とする。
学校敷地のほか国鉄清算事業団など「二年」の約束で、民有地を無償で借りているところもある。早急に解消すべき仮設の住民には、恒久住宅の優先枠を設ける措置なども検討しているが、具体策はまだない。
先行する芦屋市のケースに、県担当者は「学校敷地の特別な事情がある。市の気持ちも考慮したいが」と言葉を濁し、同市が単独予算で移転補償費を出したことは「前例になる」と複雑な表情だ。
神戸市は「市単独で、移転補償や仮設撤去費などの対応は不可能だ。国の支援が必要だが、国では一地域の問題という意識が広がっている」と話す。
この十日、潮見中学の仮設住宅には小型トラックなどが横付けされ、引っ越しが相次いだ。自転車に積んで、同じ中学内の仮設に移る人もいる。
芦屋市は「残る学校敷地の仮設解消は来年三月末までに」との方針を示している。「最終的には、高浜町の市有地の仮設に統合・集約されるようだ」などの話が、住民の間で語られるが、市は「まだ決めていない」と言う。
「市管理物件」。赤い文字の張り紙が、引っ越しを終えたドアに張られた。
1996/3/13