「長田に帰して!」。署名用紙の表紙には、そう書かれていた。
今月二日、神戸市長田区のケミカルシューズ産業会館に集まった住民約百人が、一つの運動をスタートさせた。「低家賃の災害公営住宅の大量建設を求める署名推進実行委員会」。呼び掛けたのは震災後、長田の街づくりにかかわってきた北野正一・神戸商大教授だ。
「慣れない土地で子ども二人を抱え不安な日々を送っている。早くなつかしい真野に帰りたい」「仮設で新しい人間関係をつくるのは大変。友達もおらず、家に閉じこもってしまう」
住民の声を聞いた参加者の一人が発言を求めた。「市が発注したという災害公営住宅は長田で七十戸。無に等しい。こんなことがあっていいのか」
神戸市の計画では、災害公営住宅は六千戸建設する。三月末までに発注を終えるのは半数に近い二千九百十戸。神戸市長田区の七十戸は、市が区別内訳として明らかにした数字である。
兵庫県が計画する県営住宅では、全体の約六千二百戸のうち長田区はわずか六戸しかない。
「被災者はお年寄りが多く、住み慣れた町に戻りたい気持ちが日に日に強まっている。このままでは戻れない」と北野教授は話す。
◆
震災で旧館が倒壊した神戸市立西市民病院。国道を隔てた向かい側の神戸市長田区二番町で、ビオフェルミン製薬工場の解体撤去が進む。
整腸剤で知られる同製薬は、大正八年から操業を続けてきた。唯一の工場は震災で全壊した。「一日も早い再開には、がれきを撤去し工場を建て直す時間はない」。同社は西区への移転と、跡地約五千平方メートルの市への売却を決めた。
市が発注済みの七十戸は、すべてビオフェルミン跡地に建つ。「建てようにも土地がない。ビオフェルミンは、本当にまれなケース」と市住宅局は言う。
三月一日。市会本会議で市街地の公営住宅の少なさを指摘された笹山市長は、新たな考えを示した。
「長田は広範に区画整理などの網を掛けている。事業区域の住民には受け皿住宅を造るが、それ以上に住宅を造り、区域外の住民の市営住宅にしたい」
受け皿住宅は、「再開発系住宅」とも呼ばれる。再開発ビルなどの住宅だ。市によると、その住宅を増やし、市が市住として借り上げたり、買い取ったりする。千四百戸を事業区域外の住民用に考えたいという。
だが、事業の進展は住民との協議、合意にかかる。いつ新しい街ができるか、再開発系住宅がいつ建つか。五年から十年ともいわれる事業進捗(ちょく)に左右され、見通しはまだ立たない。
◆
住友ゴム工場跡地(神戸市中央区、約五百戸)
神戸製鋼寮跡地(神戸市灘区、二百九十戸)
福寿酒蔵跡地(神戸市東灘区、三十六戸)……
神戸市の公営住宅建設リストは、担当者が用地確保に走った結果である。市は「まだ明らかにできないが、六千戸全体もほぼ用地のめどはついた」とする。
問題は場所と時期、そして家賃と被災者は考えている。長田の「大量建設を求める署名運動」について市は言う。「住み慣れた町に戻りたい気持ちはわかる。そのために受け皿住宅を急ぎたい。しかし、財政は厳しく、公営ですべてをとはならない。安い民間住宅供給に力を入れるしかない」
1996/3/15