■糸口めぐり行政に相違
現実と思惑で綱引き 安心与え混乱避ける
死者・六千四百三十人、全壊・十八万一千七百八十八世帯。高齢社会を迎えた都市部での初の大地震災害となった阪神・淡路大震災は、国や社会の仕組みを根底から問いかけた。なかでも四万八千三百戸にのぼる過去最大の仮設住宅の建設、運営では、住宅復興のあり方がコミュニティーや生活再建にいかに影響するかを浮き彫りにした。震災から四年五カ月を迎えた十七日。一面連載「震災からのメッセージ 問われる『住』」スタートに合わせた特集は、六月末に最終期限を迎える仮設住宅を中心に「住」を振り返る。被災者救援の前線で自治体は判断を迫られた。前例のない事態に突き当たり、国と地元、県と市の間であつれきもあった。新しい支援の仕組みを国に提案した。四つの局面から、被災地が抱えた課題と直面した制度の壁をたどる。(敬称略)
▼”個人補償”
「市民が自分で建てる仮設住宅に補助はできないか」
神戸市役所で市長の笹山幸俊が問題提起したのは、震災から一週間もたっていない時期だった。
笹山は後に、「最大の狙いは地域コミュニティーの維持だった」と話している。住み慣れた土地に住み続ける一つの手だてとして頭に描いていた。実現していれば、行政が建設して被災者に提供する形の仮設住宅も、もっと少なくて済んだのでは・との指摘が根強い。
当時、県、国へと協議は進んだが、最終的に国は認めなかった。いろいろな場面で被災者支援策の壁となった「個人補償に当たる」というのが理由だった。
神戸市企画部長(当時)として実現への道を探った溝橋戦夫は言う。「どの範囲まで個人補償というのか。法的な解釈の整理がまず必要だろう」。だが、解釈は今も定まったものはない。被災者支援のメニューを多様化しようとすれば、この議論が避けて通れない。
兵庫県西宮市は別の提案もした。民間賃貸住宅への家賃補助だった。しかし、「災害救助法の中では例がない」と認められなかった。後に復興基金を活用した支援メニューとして打ち出されたが、既に震災から一年九カ月が過ぎていた。
同市助役の小出二郎は「家賃補助で既存の住宅ストックを活用できれば、学校の敷地やスポーツ施設をつぶしてまで仮設を建てなくても済んだのでは」と振り返る。
いわゆる行政提供の仮設住宅だけでなく、さまざまな形の住宅復興支援の道を探りながら、制度の壁で断念せざるを得なかった被災地の舞台裏がうかがえる。
▼弱者優先枠
震災から九日後の一月二十六日未明。兵庫県庁の一室で県と市町の幹部が対じしていた。押し問答を繰り返した末、当時の県都市住宅部長、柴田高博(現住宅・都市整備公団企画調整部長)がテーブルをたたき、声を荒らげた。「県が責任を持つ。これは命令だ」
前日、兵庫県はある通知を出していた。仮設住宅や公営住宅の一時入居に際し、高齢者や障害者、母子世帯など弱者を優先して入居させる・という趣旨だった。
「弱者優先の枠を増やせばコミュニティーに偏りが生じる」「相互扶助できる構成にすべきだ」
現場の市町側は反論した。だれもが避難所を出たかった。このため順位を付けずに抽選しようと考えた被災自治体もあった。神戸市は、一般枠を八割、弱者枠を二割とする方針で、すでに記者発表していたが、県の意向で覆された。
その後も尾を引く仮設住宅への「弱者優先入居」は、現場の市町と県の判断が大きく食い違った。「市町にしてみれば、何で県に命令されなくてはならないんだ、という気持ちもあっただろう」。柴田の横にいた県の当時の住宅管理課長、佐藤保は振り返る。
避難者数は一月二十三日にピークを迎え、三十一万六千六百七十八人を数えた。優先入居の基準が伝わると、県には「元気な者を放っておいて町の復興ができるか」と苦情も入ったが、佐藤たちは「高齢者が避難所に残るのをだれが見過ごせるか」と考えた。
神戸市では今、「あの状況では最善の策」とする声も出ているが、「コミュニティーを保つ仕組みではなかった」と否定的な見解の職員はまだ多い。これに対し、県では「どこからも不満の出ない方法などなかっただろう。優先順位がなかったら、もっと大変なことになっていたはず」とする意見が大勢だ。
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兵庫県西宮市では、初期に北部の名塩や臨海部の鳴尾浜などで大規模仮設が建設され、入居を優先された高齢者や障害者が市街から遠い郊外や人工島に集まった。一方で、用地確保の関係で建設が遅れた市街地仮設には若者層が入ることになり、弱者優先がかえって弱者を疎外する結果となった。
当時の担当者は「当初、建設用地は生活環境や買い物の利便性などをじっくり吟味して選択する余裕もなかった」。
助役の小出二郎は「多様な人が集まる都市の災害では、本当に支援が必要な人がだれなのか、見極めが難しい。住宅復興も、いかに多様な選択肢を用意できるかが課題」と指摘する。
▼知事公約
「希望全世帯に仮設住宅」。一九九五年一月三十一日付の神戸新聞夕刊は一面でこう伝えた。兵庫県知事、貝原俊民は「どういう混乱が起きるか分からない状況だった。まず安心してもらおうと公約した」と当時の心情を明かす。
一月二十二日、兵庫県は七百二十六カ所の避難所で緊急の聞き取り調査を実施。対象となった世帯は約十万で、うち住宅確保の見通しが全くない世帯が約六万。県内外の公団、公営住宅の空家などで約三万戸が確保できたとして、仮設住宅の必要数は三万戸と推定した。
貝原は「三月中に完成させる」とも言った。用地の見通しすら立たない中、市町や現場からはいぶかる声も出た。「建てられるか、ということではなく、建てねばならない。それが考えの基本だった」と貝原。その後、県外住宅へ移る世帯が予想より減り、五月、さらに四万八千三百戸まで規模を増やすことになる。
いま、知事自身、「被災直後の対策として仮設住宅だけでいいか、非常に疑問に思っている」と話す。「(仮設だけでは)どうしても生活実態とのミスマッチは避けられない。もっと機動的に支援する仕組みが、この日本では十分でない」と指摘する。
▼使用期限
仮設住宅の使用期限は今年三月末に切れ、公営住宅への入居待ち世帯に限った移行措置期間も六月末で終わる。被災自治体の間では、この期限をめぐる議論が再三、繰り返されてきた。
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兵庫県=一九九八年九月末
神戸市=一九九九年三月末
一年前の九八年春、仮設住宅の期限をめぐり、両者の考えは大きく食い違っていた。
神戸市で被災者の自立支援に当たっていた当時の生活再建本部自立支援課長、高橋正幸は言う。
「九八年九月末時点で約八千世帯が残る見通しだった。九月末の解消が物理的に不可能なことは明らかだった」
しかし、県が神戸市の主張を受け入れる形で、さらに六カ月の延長方針を発表したのは九八年七月のこと。早期に延長を打ち出せば、仮設住宅からの移転が進まなくなる・。そんな懸念が背景にあったのでは、とみる関係者もいる。
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「十月末までの継続使用を認めてほしい。財源は従来通りの措置を」。今年二月一日には、西宮市が県に要望書を出した。六月末までの移行措置期間を、一部の入居者に限り再延長するよう求める内容だった。
続く三月市会。同市建設局長の上島隆弘は「仮設解消は十月末」と述べた。県と歩調を合わせて仮設解消計画を発表してきた同市にとって、初の独自方針の表明だった。
西宮市内に建設された仮設住宅は約四千九百戸。五月末現在、約二百世帯が暮らす。約五十世帯が入居を待つ密集市街地整備事業の受け皿住宅は、七月と九月の完成だ。仮設住宅対策室課長として五年目の石原一夫は「やむを得ない事情で行き場のない人を不法入居状態にはできない」と話す。
同時に同市にとって大きな問題は、期限を過ぎた仮設住宅の解体撤去・原状回復にかかる費用の行方だ。独自延長で市の負担は生じないか、県との協議はなお続いている。
1999/6/17