「あんた、家をなくし、町から追われた人間がどんだけつらいか分かるか」
神戸市灘区の復興住宅で、蒔田茂雄さん(67)が私たちに言った。
被災者支援バザーで、野菜や果物を売っていた。あまりの安さに「なぜ、そこまで」と尋ねたときだった。
自身も、須磨で三代続いた鮮魚店を失った。元の場所には帰れない。だからこそ、気持ちがよく分かるのだという。寂しい。つらい。そういう声を聞くたびに胸が痛くなる。
バザーという、にわか市場だが、「せめて、近所付き合いのきっかけをつくってくれたらと思って」。蒔田さんは、祈る気持ちで、毎月二度やってくる。
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長年住み慣れた町は、人と人、家と家とのつながりを自然と包み込むような存在だった。すれ違うと「おばあちゃん、元気?」と声がかかる。「これ、食べてや」と、食事のおすそ分けもある。自分の体をよく知る町医者もいた。
若い世代には、おせっかい、窮屈に映る面もあるが、お年寄りらは、そこにいるだけで安らぎを感じた。
しかし、震災は、そのつながり、コミュニティーを引き裂いた。避難所、仮設住宅、復興住宅へ。ローンを重ねて新しい家を構えた人もいる。ようやく落ち着いた地で「知り合いもいない。話し相手もいない」と嘆くお年寄りが多い。
コミュニティーの断絶。復興施策の中で避けられなかったのか。住民を分断しないよう、仮設をもっと市街地に建てられなかったのか。当時の判断を、笹山幸俊・神戸市長に聞いた。
「被害の大きい市街地ばかりに建てていたら、復興住宅は間に合わない。それに高齢者を避難所から早く出してあげたかった」
分断は避けたかったが、一刻も早く復興の道筋も立てる必要があった、と話した。
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阪神大震災を教訓に、東京都は、都市災害にどう備えているのか。都庁の政策報道室を訪ねた。
都は、区部でマグニチュード(M)7・2の地震が起きた場合の被害を、建物の全半壊約十四万棟、焼失約三十八万棟と想定する。阪神大震災同様、下町の被害が大きいとみる。震災後、作成したという復興に関する行政の行動指針を、担当者が示した。
住民を住み慣れた町から引き離さないようコミュニティーの維持をうたう。被災地の空き家を利用し、さらに既存の建物の応急修理を求め、仮設住宅もなるべく元の場所に建てることを明記している。
東京には、神戸ほど仮設を建てる空き地がないという事情もある。
岡田順一郎・特命担当部長は「行政ならどこでも、コミュニティーの断絶を心配する。シミュレーションを重ねて行動指針の運用を図りたい」と話したが、いざとなると、少し心配もする。「兵庫県の人と話すと、事はそう簡単ではないと思う」と付け加えた。
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「何が大切か、震災で痛い思いをして分かった」。その声は、被災地で消えることはない。
人、地域の絆(きずな)。それを、日々の生活から遠ざけてきた都心で、見直す動きが出ている。