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(1-1)連載のはじめに あぶりだす日本の現実
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 大観覧車を見上げる神戸・ポートアイランドの仮設住宅に立つ。静寂の中で目を閉じると、ここで出会った顔が浮かんでは、消えていく。

 一九九五年一月十七日朝。私は、神戸の中心から、この人工島に向かう橋の上を歩いていた。背後でビルが燃え、崩れていた。前方から、荷物を抱えて避難する長い長い列が、静かに向かってきた。

 島は液状化で水浸しだった。水しぶきを上げて車が通り過ぎる。取材らしい取材もできないまま、再びとぼとぼと橋を引き返した。

 その日から五年目。三千百戸の仮設住宅が建ったこの島でも、一部の撤去工事が始まった。

 

 今年の正月、一本のカセットテープが届いた。

 「私を覚えておられるでしょうか。ポートアイランドの仮設住宅でお世話になりました」。そんな手紙が添えられていた。

 テープには、ラジオの放送大学で採用されたという短い朗読が録音してあった。新しい住所で年賀状が出せる喜びを表した内容だった。

 今年七十三歳になる彼女と出会ったのは、震災の年の暮れ。大型トラックがそばを行き交う仮設住宅の一室だった。女性の一人暮らしらしくきれいに整理された部屋で、熱いお茶をごちそうになった。

 神戸市内の借家は全壊したという。がれきの中から、近所の人に助け出された。夫とは早くに死に別れ、子供はいない。震災後入院し、その間に家は取り壊された。

 私たちは震災からの日々を振り返り、間もなく迎える正月のことを話した。ふと、年賀状の話題になった時、彼女が言った。

 「次は、新しい住所で出したい」

 願いは今年、ようやく実現した。テープは、その報告を兼ねた新年のあいさつだった。

 

 新しい住所は、震災前とも仮設住宅とも違う区の復興住宅だった。電話をかけると、あのもの静かな声が響いてきた。

 復興住宅の部屋は、相変わらず美しく整理されていた。真新しいテーブルで、私たちは向かい合い、コーヒーを飲んだ。大切に箱に入れた新しい住所のゴム判を見せてくれた。夢にまで見た、わが家。「これは一生使います」と言って、彼女はほほ笑んだ。

 喜ぶ顔を見てほっとした。しかし、入居したばかりの住宅で二人の住民が自ら命を絶った・と私に語った時、彼女の声は沈んだ。

 仮設住宅ではただ、「復興住宅へ」という希望を胸に日々を過ごした。その夢がかなった今、これからの人生をどう歩むのか。彼女は自問する。「なぜ自分は生き続けているのか」。終(つい)の住みかを得ても、心の中の「震災」が終わることはない。

 夕やみが迫り、杖(つえ)をついて、わざわざ階下まで送ってくれた笑顔が、心に染みた。

 

 彼女と出会った人工島ではかつて、日本の成長期を象徴する華やかな博覧会が開かれた。立ち並ぶパビリオンに、私たちは明るい未来を見た。

 が、同じ島で見たこの四年半は、あの華やかな時代の底の浅さを突きつける光景の連続だった。

 舗装されていない仮設の敷地で、ぼう然と空を見つめる車いすの老夫婦がいた。遊園地の歓声が響く仮設で、死後何カ月もたって発見された男性がいた。一升瓶と湯のみ茶わんだけの部屋で、酒を飲み続ける男性がいた。

 その姿は、まぎれもなく、日本という国の現実をあぶり出していた。「震災」というレンズを通して初めて鮮明になった、この国の危うさでもあった。

 焦土から五十年。必死に築き上げたこの国の仕組みは、一体何だったのか。被災地の人々の声は、それを問うていた。

 いま一度、震災の現場に立って答えを探してみたい。それは、新たな世紀の私たちの生き方を映し出すことにもなるはずだ。

 初めに、一瞬にして崩壊したこの国の「住」のあり方を。消えゆく仮設の街から。(震災取材班)

1999/6/17

 

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