ここに来ると、時計が止まったように見える。
神戸市須磨区千歳地区。更地の一画に、白い二階建てのコンテナハウスが立つ。福浦稔さん(73)あさ子さん(66)夫婦が、震災に遭って三カ月後に建てた仮設住宅だ。区画整理事業区域で、換地後は撤去しなければならない。「それまでの間だけでも」と、四十五年暮らした地にとどまる。
約八畳のコンテナを重ねた簡単な造り。一階に台所とふろ。訪ねると、寝室兼居間の二階に通された。
住んでいた借家は全焼した。区内の仮設を応募したが落選。地主に無理を言って三百五十万円を借金、ハウスを購入して元の場所に建てた。塀を建て、電気や水道を引くと結局、五、六百万円はかかった。
稔さんは、会社退職後続けていた高速道路の料金徴収の仕事を延長。あさ子さんもパートに出る。が、返済額にはまだ届かない。
「仮設一つ三百万円。自分で建てた者にそのくらい出してもええはずや」
自力仮設に、補助はなかった。
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仮設住宅は、避難所での聞き取り調査を基に、県内と大阪府内で計四万八千三百戸が建設された。旧市街地に被害が集中した神戸では、約半数が郊外に建った。しかし、元の地を離れたくないと、自力で仮設を建てるケースが目立った。
その数が、全体でいくらあるのか、県も市も把握していない。
神戸大工学部の塩崎賢明助教授の手元に、こんなデータがある。チームが東灘、灘、長田、須磨の四区を歩いて自力仮設を調べた。九五年は二千五百三十二棟。二年後も、千九百七十八棟が残っていた。
なぜ補助は認められないのか。多様な支援策があれば仮設も減らせたし、避難所から速やかに移転できたのではなかったか。震災以降抱いていた疑問を、当時、兵庫県に出向し、仮設住宅建設に携わっていた藤原保幸・建設省住宅局木造住宅振興室長に、あらためてぶつけた。その回答・
「当時、考えられることは、すべて国に要望した。当然ながら、私有財産には補助できないだった。私も被災者で、そうなればいいとは思うが、現実的な考えではない。土地を持たない人はどうなるのか。まして個人に金を渡しても、あの混乱時に個人の発注に応じられたとは思えない」
厚生省の千葉一也・災害救助専門官は「法の運用を見直す予定はない。人がおぼれていたら、その人に金を渡しますか。現金支給の議論は、応急救助の次の段階の話です」と、管轄外を強調した。
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震災を教訓に、防災マニュアルを見直す動きが出ている。東京都は自力仮設の建設費一部補助や、元の居住地で生活再建を進める「仮設市街地」構想を検討。静岡県は災害時の仮設住宅を減らす方針を打ち出す。
この間、国が災害救助法で見直したのは、条件付きで「公団・公営住宅の一時使用、民間アパートの借り上げ」を認めた九七年の厚生省通達。震災の特例措置を、国の補助対象として位置づけただけだった。
「住宅のあて? そんなもんあらへん。その時考えるわ」。嘆く福浦さんに限らず、住まい再建のめどが立たない人はまだ多くいる。
1999/6/20