六月末に最終期限を迎える被災地の仮設住宅。四万八千三百戸にのぼる過去最大の仮設の建設や運営で、自治体トップは前例のない事態に直面し、判断を迫られた。国と被災市町との間で折衝に当たった貝原俊民・兵庫県知事と、最大被災地で指揮した笹山幸俊・神戸市長に局面の判断の背景と、今後への提言を聞いた。
■貝原知事 機動的支援の必要性実感
-一九九五年の一月末、「希望者全員に仮設住宅を提供する」とした。現場の職員には「本当にできるだろうか」といぶかる声もあったが
「もちろん用地や工事能力の問題はあった。でも、建てられるかどうか、ではなく、建てねばならないというのが判断の基本だった。退路を断ち、全体の士気をそこに向けるためにも、公言、公約した方がいいと思った。被災者が心理的な不安を抱え、どういう混乱が起きるか分からない状況だった。まず安心してもらおうと考えた」
-郊外に多い建設場所や入居抽選の方法など、仮設住宅の問題点を指摘する声は多いが
「私はあのようなやり方しかなかったと思う。しかし、一方で、被災直後の対策として仮設住宅だけでいいか、ということについては、今、非常に疑問に思っている。仮設住宅では、被災者の生活実態とのミスマッチは避けられない部分がある。自分は土地を持っているが、家を造る金はまだない。だから離れた仮設住宅に行かなくてはならない。しかも抽選で公平に決まるわけで、自分の思ったところに入ることができるとは限らない。ミスマッチはやむを得ず出てくるということになる」
「被災者自身が自分で仮設住宅や生活の本拠をつくるという時、その支援の仕組みがあれば、もっと実態に合った形でいくんじゃないか。被災者に自分の土地があったら、自分自身でそこに仮設住宅を建てるということも出てくる。市町に建設してもらわなくても、百万円でももらったら、自分でやるよ、というようなことも実際あった。だから制度として支援が実現できないか、(国と)折衝したが、やはり私有財産制の下では公的資金を入れられない、ということだった」
「もっと機動的に、住宅復興を支援する仕組みがあればと思うが、そこの対策が日本では十分でない。だから、自然災害の被災者に対する災害共済制度を提案している」
■笹山市長 自力仮設 煮詰められず
仮設住宅建設は、災害救助法に位置づけられ、それに従って対応を迫られたが、そもそも仮設住宅自体、短期間の利用が前提だった。阪神・淡路大震災では、しかし、長期的な入居が確実に予想された。そうした状況下、あれだけ大量の仮設住宅を建設することは前例のない事態で、大変なことだった。
用地の確保には苦労した。その後の復興公営住宅の立地も同時に考えておかなければならなかったからだ。
また、当時、自分の土地に仮設住宅を建てた人に対し、行政から補助はできないか・とも提案した。しかし、規定の仮設の建設だけでも、(国などとの)協議は大変で、それ以外の住宅支援についてじっくり議論する時間がなかった。
今回の震災を契機に、(最高百万円の生活支援金を給付する)被災者生活再建支援法ができた。緊急時の生活費として、支援金を被災者に渡すことには、国民的な合意を得たといえる。
しかし、住宅復興への支援となると、やはり「私有財産の形成に当たる」という議論になって、実現には困難が予想されている。今後はむしろ、災害時における住宅の共済制度の議論を煮詰めるべきだろう。(談)
1999/6/28