震災は、高齢社会を迎えた都市のもろさ、災害時の弱者への対応が欠けていたことを浮き彫りにした。
その不備を、震災直後に見ていたのは、芦屋市にある特別養護老人ホーム「あしや喜楽苑」の施設長、市川禮子さんだった。
芦屋の海を臨むホームで、市川さんは、記憶を一つ一つ確かめるように話した。
テレビが伝える被災地は、高齢者ばかり。避難所で、どう過ごすのか。仮設住宅は、安全な住まいなのだろうか。海外の先進地に何度も足を運び、高齢者向けの住まいについて考えていただけに、心配が募った。
「北欧にあるようなケア付き共同住宅(グループハウス)が造れないか」。思うと、行動は早かった。
平屋建てで、バリアフリー様式。トイレ付きの個室とコミュニティールーム。二十四時間体制でケアスタッフが詰める。そんな「地域型仮設」を導入するよう、県や芦屋市に働きかけたのは、二月初め。実現したのは四月。災害救助法の規定にもないことだった。
ちょうど、同じころ。元厚生省障害福祉課長の浅野史郎・宮城県知事も動き出していた。直後に被災地を訪れ、その必要性を痛感したという。宮城県民から寄付を募り、バリアフリー型仮設三十二戸を芦屋、西宮市に寄贈した。その後、このタイプの仮設は、阪神間で二百八十戸に膨らんだ。
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市川さんは、こんなエピソードも紹介した。
精神障害の人が地域型に入ると、徐々に落ち着きを取り戻した。主治医も目を見張る変わりようだった。
一緒に暮らすお年寄りが、じっくり話を聞いてあげた。障害者も体の不自由なお年寄りの入浴を手伝った。みんなが助け合いながら生活する。その姿に、これからの住まいを見る思いだった。
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神戸市。阪神間の仮設に比べると、設備に差があるが、市内に千五百戸の地域型が建設された。その一つ、神戸市東灘区の手水公園仮設(三十一戸)には、四人が暮らしている。
二階建てで、居室は四畳半一間。浴室、台所、トイレは共用になっている。土地のなさ、対象者の多さ。そうした事情から、市の担当者は「少しでも多くの人が入れるように」と、災害救助法の枠内で考えた苦肉の策と説明した。
廊下側の戸が開き、部屋の中は丸見えでも「みんな家族のようなもの。気にしてない」と生活支援員の桑原美千子さん(49)がいう。平均年齢は九十に近い。「一人より、みんな一緒の方がええ」と、九十二歳の男性が言った。設備は不満足でも、仲間と一緒に暮らせる喜びに浸っていた。
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兵庫県社会福祉協議会が地域型仮設の入居者を対象に昨年まとめたアンケートがある。神戸、阪神の住民とも八割以上が「このまま住み続けたい」と答えた。
経験をもとに、桑原さんらは、お年寄りが一緒に暮らせる共同住宅の建設に乗り出した。市川さんも同じような計画を進めている。
弱者が支え合う「グループハウス」。その一つのきっかけを地域型仮設がつくった。
高齢社会のモデルケースと、いま全国各地に広がりつつある。