連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

(5)何もかも仮設優先で進んだ 求められた多様な支援
  • 印刷

 仮設住宅への入居は、高齢者や障害者ら弱者が優先された。災害復興公営住宅への入居は、仮設に入っていることが第一の条件だった。この枠からこぼれ落ちた人たちに、十分な支援はあったのか。現場を歩くほど、その疑問にぶつかった。

 神戸・須磨区役所北側の川沿いに、下中島公園がある。旧避難所として、今もコンテナハウス十三棟が並び、五世帯が暮らす。震災直後は自衛隊がテントを張り、学校などに入れなかった人たちの避難所に充てられた。その後も、仮設住宅の抽選に外れた人、民間賃貸住宅の家賃を払えなくなった人たちが、入っては出ていった。四年半で、延べ百六十人が利用した。

    ◆

 そこの自治会長、田中健吾さん(55)に会った。震災前は製靴会社を経営していた。自宅が全壊し、公園にたどり着いたのは、一週間後。年老いた母と娘を車に残して救援活動に走った後、避難所三カ所に駆け込んだが、どこも満員だった。

 やむなく、公園でテント生活。仮設は区内ばかり四度申し込んだが、当たらなかった。行く当てもなく、蓄えと借金でコンテナハウスを購入した。同じ立場の被災者に開放した。

 復興住宅に応募しようとする田中さんらに、神戸市は「まず仮設に入って」と、公園から出ていくよう促した。空き部屋が出た仮設に入るよう勧めた職員に、「申し込んだ時に入れないのに、何を今さら」と、かみついたこともある。

 「仮設に入っていなくても同じ被災者。もう少し柔軟に考えられんか。決まりから外れると、まるで罪人扱いや」

 田中さんが四年半の思いを話した。公園の仲間は、一世帯を除き、今年初めの復興住宅募集でようやく入居のめどがついた。

    ◆

 仮設に入らず、全国各地の公団・公営住宅、親せき、知人を頼って地元を離れた県外被災者も多くいる。兵庫県は昨秋、地元に戻りたい人を対象に登録制度を始めた。が、実はその数も、うち何人が県内の公営住宅入居を希望しているのかも、つかんでいなかった。

 大阪市西区のビジネス街にある「街づくり支援協会」。県外に散らばる被災者から今も、住まいに関する相談が寄せられる。

 事務局長の中西光子さんが言った。「広域避難者の実態調査を一日も早く進めてほしい。県の対応はすべて遅すぎます」

 当時の県幹部は「仮設は気の毒という世論と、市民の税金を使っているため、少しでも早く生活再建してもらおうとの判断があった」という。復興住宅の応募条件である「仮設入居」が「被災者枠」に広がったのは、震災から四年近くたった昨年十月だった。

 避難所から仮設住宅、復興住宅へ・。神戸大学の平山洋介助教授(住宅政策)は、そういう「単線型復興」ではなく、多様な生活再建の支援を提供する「複線型復興」を、と主張する。

 「これほどの大災害なのに放置同然の人が多い。直後に被災者全体の調査をすべきだった」と。

 何もかも、「仮設」にとらわれすぎていなかったか。被災者の全体像は、五年を迎えても、まだつかめていない。

1999/6/21
 

天気(9月8日)

  • 33℃
  • ---℃
  • 40%

  • 33℃
  • ---℃
  • 50%

  • 34℃
  • ---℃
  • 20%

  • 34℃
  • ---℃
  • 40%

お知らせ